HOME よみもの 波佐見の人 窯元探訪【一真窯】眞崎善太さん vol.1 焼きものは “もやう”もの 2019.11.01 窯元探訪【一真窯】眞崎善太さん vol.1 焼きものは “もやう”もの by Hasami Life編集部 波佐見町には全部で59つの窯元があります。そして小さな町の至るところに、波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。このシリーズでは、窯元を順番に尋ね、器づくりについてはもちろん、ふだんは見られないプライベートな顔までをご紹介します。 トップバッターは、波佐見町の中でも多くの窯元が集まることで有名な中尾山にある『一真窯』さん。デザイナー・作家である眞崎善太さんにお話を伺いました。 【一真窯】デザイナー・作家、眞崎善太さん 武士出身、13代目の窯元 ―― 中尾山には、今でもたくさん窯元があるんですよね? 眞崎さん(以下、眞崎) 今は16〜17ぐらいかな。これでもずいぶんと減ってね。 ―― 全盛期はもっとあったのですか? 眞崎 そうね。波佐見焼は江戸時代にスタートしてますから、どの時代を全盛期と言うかにもよるけど、もっともっとありましたね。今風の器になってからだとして、昭和30年代以降? 僕が生まれた昭和33年は、中尾山の人口は大体1300人なんですけど、今は340人くらいです。 ―― 人口も減っているんですね。 眞崎 中尾山でやられてた方が、生産ロットや供給が間に合わないからって、山を降りて町の方に工場を作っていったんです。西海陶器さんも元々はここ中尾山にありましたもんね。 ―― 一真窯さんはいつからあるんですか? 眞崎 一真窯としては平成元年からです。でも、先代も先々代も窯元だったんですよ。眞鐵(しんてつ)窯という名前でした。薪や石炭を燃料としていた時代まではやってたんですが、ガス窯に変わる時について行けず、無念にも一旦閉じてしまったんです。 ―― それでは、善太さんは3代目? 眞崎 いえ、眞崎の姓としては13代目。江戸時代は武士だったんです。つまり、今でいう管理職。江戸時代は、登り窯も藩が管理してたんですよ。 民間の産業になったのは、明治になって廃藩置県が制定されてからです。使われていた登り窯も取り下げてあげますよって。炉内を1、2、3、4、5、6、7と数字で仕切って、「3番窯ババフクザエモン」みたいな感じで割り当てて。「4番窯マサキテツタロウ」、「5番窯イチノセキザイエモン」、「6番窯タナカキュウハチ」……っていつまで言わせるの?(笑) 第一印象はちょっぴり怖そうにも見える? でも、話し出したらユーモアたっぷり。「作る器ともギャップがあるってよく言われるの!」と笑う眞崎善太さん。 焼きものは“もやう”もの 眞崎 登り窯のことは「もやい窯」ともいうんですよ。“もやう”っていうのは、「みんなで協力をしながら」っていう意味。農家でいうところの“結い”の精神かな。水も流れ処は1つなんだけど、みんなで共有しなくちゃいけないじゃないですか。登り窯も火の焚き処が1つですから。 ―― みんなで協力して焼きものを焼いていたんですね。 眞崎 だって協力しないと成功しないじゃない? 焚き処は一番下にあって、火が回って次の窯に行くわけですから。うちの窯が1000度ぐらいまで上がった頃には、隣の窯がもう500〜600度ぐらいになってますから。やっぱり、隣同士は仲良くしないと。だから“もやい”ですね。もやいもの同士。 ―― 仲良くしないと!みたいな精神は、今も? 眞崎 うーん、どうだろう? 昔の人はよくケンカもしてたから。仲がいいのか、悪いのか(笑)。分業制になって、石炭窯になってからは、それぞれ単窯を持つようになって、一緒の窯で焼かなくてもよくなりました。今、中尾山に残ってる大きな煙突は石炭窯の名残なんですよ。 煉瓦造りの煙突をはじめ、昔ながらの懐かしい風景が広がる中尾山。世界最大級ののぼり窯の跡もある。 ―― 登り窯の後に石炭窯に変わったんですね。 眞崎 そうですね。でも、石炭窯はかなり難しかったと先代から聞きました。うちもかなり失敗してるみたいです。ガス窯に変わってからは、みなさん活躍されてる。安定して焼きものが作れるようになった。大成功! ―― 薪よりも石炭の方が難しかった。 眞崎 火点けに時間がかかるしね。1回失敗したら、借金を負うわけですよ。大きい窯にいっぱい焼きものを入れるでしょう? 成功すればいいんでしょうけど、失敗したら燃料代、人件費、あれこれ全部パー。僕は当時の事を知りませんけど、夜逃げをしたりする人もいたそうです。賭けですよ。 ―― じゃあ、石炭の時代に窯元が減ってしまったとか? 眞崎 石炭窯になってからは、個人窯が増えたんじゃないですか。さらにガス窯になってから、もっと個人窯が拡大したっていう。まあ、石炭窯の時代っていうのはそう長くないからですね。大正時代から昭和20〜30年ぐらいまでかな? 30年代入ったら、ガス窯にぐーっと切り替わってますからね。 ―― ガス窯〜現代までは、焼きものづくり自体、大きく変わってない? 眞崎 そうですね。大きくは変わっていないです。ただ、燃料ガスになったことで、今度は窯の種類が増えましたね。うちのはシャトル窯。もっと大量に焼くのが、トンネル窯やローラーハース窯ですね。 【一真窯】 長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷6700956-85-5305 公式サイトhttps://www.issingama.com/ 公式通販サイトhttps://issingama.com/shop/ Instagramhttps://www.instagram.com/isshingama/ 【一真窯ショップ"とっとっと”】 営業時間 10:00〜12:0013:00〜17:00定休日 不定休 ※HPで要確認 次回は、話題の「白磁」の手彫りシリーズはいかにして誕生したか? 眞崎さんのデザインの原点を伺います。 (最初から読む) 窯元探訪【一真窯】眞崎善太さん vol.1 焼きものは “もやう”もの 窯元探訪【一真窯】眞崎善太さん vol.2 話題の「白磁」、デザインの原点 窯元探訪【一真窯】眞崎善太さん vol.3 食器つくりから心の器つくりへ 窯元探訪【翔芳窯】福田雅樹さん vol.4 修業時代に知った焼きものの面白さ 窯元探訪【翔芳窯】福田雅樹さん vol.5 器と料理の関係。「ホワイトライン」が目指す姿 この記事に関連する商品 彫刻紋〈白磁〉 丸皿 中 ¥3,300 彫刻紋〈白磁〉 丸皿 小 ¥1,870 彫刻紋〈白磁〉 角皿 中 ¥3,520 彫刻紋〈白磁〉 カップ ¥1,540 彫刻紋〈白磁〉 マグ ¥2,420 彫刻紋〈白磁〉 角皿 大 ¥6,600 Tweet 前の記事へ 一覧へ戻る 次の記事へ Hasami Life編集部 この記事を書いた人 Hasami Life編集部 関連記事 2021.01.07 窯元探訪【一誠陶器】絵付職人 vol.12 丁寧に、繊細に描く絵付職人 【一誠陶器】絵付職人さんーー34名の職人のうち6割強の職人が絵付を行い、手描きでしか出せない風合いを大切にしている窯元の『一誠陶器(いっせいとうき)』さん。現場を支える絵付職人さんを代表して、職人歴1年半の新人さんから、職人歴数十年以上のベテラン勢まで、4名の職人さんに絵付の楽しさや大変さを伺いました。 2021.01.06 窯元探訪【一誠陶器】池田希美さん vol.11 手描きの技術を絶やさないためのデザイン 【一誠陶器】池田希美さんーー手描きでしか出せない風合いを大切にしている窯元の『一誠陶器(いっせいとうき)』さん。2020年7月1日に、新しくスタートさせたブランド “ZOE L'Atelier de poterie(ゾエ ラトリエ ドゥ ポトゥリー)” のデザイナーも務める池田希美(いけだ のぞみ)さんにお話を伺いました。 2021.01.05 窯元探訪【一誠陶器】江添圭介さん Vol.10 絵付を生かした器づくり。 【一誠陶器】江添圭介さんーー手描きでしか出せない風合いを大切にしている窯元の『一誠陶器(いっせいとうき)』さん。34名の職人のうち、なんと6割強が絵付職人なのだそうです。絵付を活かしたモノづくりについて、2代目の江添圭介(えぞえ けいすけ)さんにお話を伺いました。
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