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窯元探訪【紀窯】中川紀夫さん vol.14 スリップウェアに出会って“夢中”を知った

by Hasami Life 編集部
窯元探訪【紀窯】中川紀夫さん vol.14 スリップウェアに出会って“夢中”を知った

波佐見町には全部で59つの窯元があります。そして小さな町の至るところに、波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。今回は、波佐見の中でも異色な存在感を放つ「スリップウェア」をつくる、紀窯(きがま)の中川紀夫(なかがわ のりお)さんを訪ねました。一度見たら忘れられない印象的な模様をはじめ、スリップウェアの個性的な魅力をお届け。器づくりについてはもちろん、ふだんは見られないプライベートな顔まで全3回でご紹介します。

イギリスの古陶スリップウェアの美しさに魅せられた中川さん。丈夫な日用食器をつくり続けてきた波佐見で生まれ育った中川さんが、どうして民藝品としての側面も持つスリップウェアの作家になったのでしょう?

「ものづくりをしたい」という気持ちがありながら、なんだか必死になれずにいた青年が、大人になって「これだ!」というものに巡り合い作家性を確立する、第2回目です。

中川紀夫(なかがわ のりお)
波佐見町の陶郷・中尾山で生まれ育ち、秋田公立美術工芸短期大学を卒業後は益子・大誠窯にて修行。そののち波佐見町に戻り、父の営む「孔明窯」の隣で「紀窯」として独立し、スリップウェアを中心に作陶をしている。

 

流れるように、学び、修行して。

――:
中川さんは、陶郷とも呼ばれ、江戸時代から盛んに焼きものがつくられてきた中尾山で生まれ育ったんですよね。子どものころから、焼きものが身近にあったんですか?

中川:
そうですね。今はきれいに整備されてますけど、昔は山のいろんなところに、割れちゃった焼きものを捨てるところがあったんですよ。そういうのを見て育ちましたね。小学生のころとかは、焼きものの生地を粘土代わりにして遊んでました。

――:
焼きものを仕事にしようと思ったのは、いつですか?

中川:
うちの親が仕事しているのを見て「自分もやってみたいなあ」なんて思うようになりました。ものづくりがしたかったんです。それで秋田公立美術工芸短期大学に行きました。波佐見の隣町の有田に窯業大学校もありましたが、僕からするとちょっと近すぎて。一度家を出てみたかったんですよね。受かった秋田の学校は公立短大のため学費も安かったですし、東京や福岡より住むのにお金もかからないこともあって選びました。美術系の学校は、材料費もかさみますから。

――:
焼きものを学んでみて、いかがでしたか。

中川:
1年生のときは幅広く学ぶことができて、焼きもののほかに鋳金(ちゅうきん)と染色をやりました。とくに鋳金がすごくおもしろくて好きだったんですけど、2年生になったときには焼きものを専攻することになっちゃってました。

――:
なっちゃってたんですね(笑)。

中川:
第一希望じゃなかったんです(笑)。 家業が焼きものって書いてたから、先生たちが考慮してくれたのかも。嫌ではなかったですけどね。鋳金は好きでしたけど、それでどうやって稼いでいくのか想像もできなかったですし。

――:
卒業後は益子の「大誠窯(だいせいがま)」で修行されてますよね。なぜ益子焼を選んだのですか?

中川さんが所有する大誠窯でつくられた皿。

中川:
もともと、どこかで修行してから帰ろうとは思ってました。益子を選んだのは、なんというか……タイミング、ですね。
短大のOBが、何人か益子の窯元で働いてまして。遊びがてら見学しに行ってみたら、先輩に言われたんです。「うちの隣の窯で、ちょうど一人やめて空きができるぞ」って。そのときすぐに「働かせてください」ってお願いして。それで決まったんですよ。

――:
まさにタイミングですね(笑)。窯元での修行はどうでした?

中川:
すごく忙しくて、最初はきつかったなあ。僕は益子焼のこと、あまりよくわかってなくて。益子焼はぽってりした厚みが特徴の陶器なんですが、地元の波佐見焼は薄くてスラッとした磁器が中心。益子焼は民藝品で、波佐見焼は日用食器。もうあまりに違いすぎて、慣れなかったですね。だけど、イチからすべてできるのがよかったです。ろくろをやって、釉薬をつくって、窯積みも窯焚きもやって。ぜんぶ手づくりするのがおもしろかった。3年目くらいから、だんだん仕事が楽しくなってきました。

 

スリップウェアが夢中にさせてくれた。

――:
調べてみたんですけど、濱田庄司さんという方が益子焼を民藝品として確立してたんですよね。さらにこの方はイギリスで廃れてたスリップウェアの魅力を再発見した民藝運動家のうちの一人でもあった。

中川:
そうです、そうです。濱田庄司もそうですし、柳宗悦やバーナード・リーチ、そういう民藝運動家の人たちが持ち帰ってきた、というのが日本のスリップウェアのはじまりです。

――:
益子焼とスリップウェアには、同じ民藝運動家が関わっていたわけですが、そういうつながりから中川さんもスリップウェアを知ったんですか?

中川:
いえ、じつはそんなに関係ないです。僕がスリップウェアを好きになったきっかけは、東京・駒場にある日本民藝館での「英国の古陶・スリップウェアの美」っていう展示会でした。うちのばあちゃんが亡くなって実家に帰省するとき、ちょうど開催していたんです。なので途中東京に寄って、軽い気持ちでこの展示会を観に行きました。そうしたら、もうすごい展示がよくって。波佐見でばあちゃんのお葬式が終わって益子に戻るときも、寄って。夢中になって、同じ展示を4、5回観に行きましたね。

そのときの展示会のポスターが紀窯さんの工房に今も飾られている。日本にあるイギリスのスリップウェアが130点以上集められた、はじめての大規模な展示会だった。

――:
そんなにすごい展示会だったんですね。

中川:
すごかったんですよ。(立ち上がって)ちょっと図録持ってきますね。

展示会『英国の古陶・スリップウェアの美』の図録を見ながら「こういう格子模様が一番好きなんですよね。描いててもおもしろいですね」と教えてくれる中川さん。

――:
ああ、展示会の図録だけでも、すてきですね! これだけのスリップウェアがしっかりまとめられていて。この展示を観たとき、中川さんはどんなことを考えてたんですか。

中川:
「なんだこれ」と思って。益子にいたとき、民藝とも縁が深い土地なのでスリップウェアの存在は知ってましたし見たことはあったんですけど、周りに器を持ってる人もあまりいませんでした。こんなに一度にたくさん並んでいるのは見たことはなくて。すごいなって衝撃を受けました。

――:
どんなところに惹きつけられたのでしょう?

中川:
線でしょうね、なんとも言えない線。まるで生きているような気配さえある線で、不思議でした。おもしろいなあと思って。ふちのギザギザとかも、新鮮でしたね。こんなものがあるんだって、まさに未知の世界を知ったって感じでした。小さいころから生まれも育ちも波佐見だし、ずっと焼きものを見てきているけど、染付の白い器とかが主流だったので。

――:
確かに、波佐見焼とはまったく違いますよね。2003年というと、修行何年目くらいですか?

中川:
4年めくらいですかね。最初はきつかった仕事も楽しくなってきたぐらいの時期に、ちょうどスリップウェアに出会いました。そこからすごく真面目に焼きものに取り組むようになりましたね。それまでは、先輩たちが仕事終わりに居残って練習してる中、元気に「お疲れさまでしたー!」って挨拶して普通に帰ってましたから(笑)。

益子にいたころはゲーム「モンスターハンター」にハマって、益子モンハン部をつくって陶芸仲間と飲み会をしていたそう。

――:
スリップウェアとの出会いで、中川さんの陶芸との向き合い方が変わった。大きな転機だったのですね。

中川:
それまで、ものづくりは好きでしたけど、目標もなにもなかったですからね。頑張ろうと思えるきっかけになりました。いろんな資料を見て勉強して、仕事終わったあとに見よう見まねでつくってみて。窯を焼くときに自分のスリップウェアも入れてもらって、ちょこちょこ売ってましたね。スリップウェアが好きな先輩もいたので、相談に乗ってもらったりもして。夢中でした。

 

波佐見で独立し、紀窯になる。

――:
益子での修行から波佐見に帰ってくるのは、どういうきっかけだったんですか?

中川:
8年は、いすぎたなと思って(笑)。

――:
はははは!(笑)。

中川:
もう先輩も独り立ちして、修行に出ていた親方の息子さんも帰ってきて、環境も変わってきてましたし、自分もそろそろかなと波佐見に帰りました。

――:
こっち帰ってきて、お父さまの「孔明窯」は継がず、新たに「紀窯」をはじめられましたよね。

中川:
つくっているものがまったく違うので、別にしました。益子でぜんぶ自分で手づくりする楽しさを知ったので、波佐見でもそこは変わらず、まずはひとりでやってみるつもりでしたし。

――:
紀窯というのは、ご自身のお名前からつけたんですよね?

中川:
なんとなく、仮のつもりで紀窯って名前にしたら、もうそうなっちゃったんですよね。"きがま"でなく"のりがま"って読み方を勘違いされることもあるんですが、「ああ、じゃあもう、それでもいいですよ」って言ってます。

――:
こだわりが全然ないんですね(笑)。

中川:
名前はどうでもよかったです。うちはじいちゃんも焼きものをやってたんですけど、戦争へ行って帰ってきたらつくるのやめちゃって。父親も自分で窯をはじめて、三国志の諸葛孔明が好きで「孔明窯」って名前つけてますから、「代々受け継いできた窯の名前を残さないと」って気持ちもなかったです。

――:
なんというか……中川さんって、座右の銘とかお持ちじゃなさそうな感じがします(笑)。そこがすごく中川さんらしくてすてきだなと思うんですけれど。

中川:
おっしゃる通り、座右の銘、ないですね(笑)。そういうかっこいい感じのこと、苦手なんです。

<第3回に続きます>

+++

ちょっと不思議で、一度ハマると抜け出せない強烈な魅力を放つスリップウェア。イギリスの伝統的な雰囲気と、中川さんのおおらかなで素朴な人柄が感じられる焼きものにはファンが多数! 日本各地で個展や展示会が行われています。展示会などのお知らせは、中川さんの奥さまが更新しているインスタグラムをご覧ください。

中尾山にある紀窯の工房の隣には小さな展示スペースがあり、そこで販売も行われています。波佐見町にお越しの際は、ぜひお立ち寄りください。

※紀窯の器はHasami Lifeで取り扱っておりません。

【紀窯】

Instagram
https://www.instagram.com/kigama_nakaoyama/

長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷665-1
電話・ファックス: 0956-85-3338
メール: kigama.hasami@gmail.com
営業時間: 8時~17時
定休日:日曜日
※定休日の場合でも営業している場合があるとのことです。電話にてお気軽にお問い合わせください。



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