窯元探訪【永泉】vol.42 谷口禎二『受け継ぎ、つなぐ。末永く』

窯元探訪【永泉】vol.42 谷口禎二『受け継ぎ、つなぐ。末永く』

2026.06.26

波佐見には、町の至るところに波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。

今回訪ねたのは、波佐見町の永尾郷に位置する『永泉(えいせん)』さん。

窯に併設されたギャラリーには色とりどりの器が並びます。

定番の器から、新たなアイデアを取り入れたアイテムまで、そのラインナップはじつに多彩です。

ロングセラーと新たな挑戦の両方を支えるものづくり。
その歩みと、商品開発の秘密を前後編に分けて探ります。


80年つづく、ものづくり

永泉は、創業約80年。現在は、5代目の谷口禎二(たにぐち ていじ)さんが代表を務めています。

「戦後すぐ、わたしの祖父が『谷政(たにまさ)』という社名ではじめました。この場所はまだ田んぼだったので、創業の地は川向うの、谷口家本家のそばでした。

会社の看板や器の裏の銘(めい)を『永泉』で統一したのは、わたしが社長になってから。7~8年くらい前のことですね」

古くから焼きものづくりが盛んに行われた永尾郷。車を走らせると、醤油さしのシルエットが印象的な看板が目に入る


親族で経営を続けてきた永泉。
その歩みはどのようなものだったのでしょうか。

「一番多いときは、従業員さんが130人くらいいました。送迎のマイクロバスが3台くらい出てましたね。佐世保からも働きに来ていたし。

昔は商人さんたちが競うようにして焼き上がった商品を取りに来ていて、生産量が今と比べると段違いに多かったと聞いてます」


食器以外も。広がる商品づくり

永泉では、日用食器だけでなく、さまざまな暮らしの道具となる焼きものづくりに取り組んできました。

1987年には、のちの波佐見焼の強化磁器につながる割れにくい食器「ワレニッカ」が誕生。永泉もその製造に携わり、学校給食や病院などの現場を支える器づくりを担ってきたといいます。

また、磁器製のファッションプレート(コンセントやスイッチを装飾するカバー)やテープカッター、空間のにおいとりまで、バラエティに富んだ商品を展開し、受賞につながったものも数多くあります。

波佐見周辺のお店や家庭でしばしば見かけるファッションプレートは、特産品展などで受賞したロングセラー。波佐見町役場でも使われている。

テープカッターは、なんと芯まで磁器製! 現在は製造停止しているが、再販を望む声多数とのこと。

かつてつくられていた磁器のにおいとり。ユニークな見た目と機能性が両立している。


訪れた転機。今につながる「永泉」へ

さまざまな商品をつくってきた永泉ですが、じつは、禎二さんは「継ぐつもりがなかった」のだと言います。

「焼きものに関しては、もともとなーんもしてない。小さいころに陶器まつりで売っていたくらいで、窯業関係の学校にも行ってないし、まったくの畑違い。

わたしは分家の人間で、ギフト販売の大手に就職して福岡に住んでいたんだけれども、継ぐはずだった本家の息子さんが急逝して。
継ぐ者もいないから『帰ってこい』と言われました。『継ぎとうなか』って、そこから2年くらいは帰らなかったけど(笑)」

禎二さんが波佐見に戻ってきたのは、20代のころ。すでにバブルは崩壊していました。

「帰ってきて10年くらいは、業界の勢いもなくなって、一番ひどい時代だったと思う。わたし自身はいい時を知らないんです。でも、それがかえってよかったのかもしれないですね。

『こんなもんか』と思いながらやってきました」


飄々と語る禎二さんですが、その言葉とは裏腹に、社長就任後、さまざまな変革に取り組みます。

工場の作業環境を改善し、窯も一新。
応接室を改装してギャラリーも整備し、さらには、看板や器の銘も統一して「永泉」の名を打ち出していきました。

「いい時代を知らない」からこそ、時代の変化に合わせながら、窯元の在り方を模索してきたようすがうかがえます。


受け継がれる技術。商品力を支える現場

現在、禎二さんら役員まで含め、窯には全部で25人。

最盛期と比べると人数は減ったものの、絵付け、釉薬がけ、窯積みなど、それぞれの工程を担う職人たちが、日々のものづくりを支えています。

なかには、イベントで出会った永泉の器に惹かれて、ついには福岡から移住して働くようになったスタッフさんもいるそう。

「お酒が好きで、酒器を買ってくれたのが最初。そこから催事や波佐見の工場までも来てくれるようになって、『働きたいんですけど』って。

まったくの異業種から転職して、今も楽しいって言いながら働いてくれて。すごくうれしいですよね。

窯のなかでは一番若いし、いろいろと教えています。新しいことを自主的に練習してることもあって、いいですよね、そこから新しいもんができるかもしれないし」

ものづくりを続けるなかで、人との縁もまた育まれていました。

かつて130人が働いていたころの名残を感じさせる広い工場では、それぞれの工程を担う職人たちの手によって、今も多くの焼きものがつくられています。

80年の歴史。
その歩みは、決して同じ場所にとどまるものではありませんでした。

長く受け継がれてきた技術を大切にしながらも、時代に合わせて窯の在り方を見直してきたこと。
その積み重ねが、今の永泉を形づくっています。

「今後も大きな展望は特にないけれど、末永く。窯を続けていければいいんじゃないかな」


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後編では、禎二さんの奥さま・貴子さんにもお話を伺いながら、多彩なオリジナル商品の開発の裏側に迫ります。

(つづく)

【永泉】

〒859-3705
長崎県東彼杵郡波佐見町永尾郷341

公式サイト
https://www.hasami-eisen.com/

Instagram
https://www.instagram.com/happyhasami/


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この記事を書いた人
Hasami Life編集部(すぎた)