80年前の波佐見焼を発掘! 歴史も深堀り&出土碗を販売します。

80年前の波佐見焼を発掘! 歴史も深堀り&出土碗を販売します。

2022.05.27

波佐見町で、この春あるニュースが話題になりました。なんと戦時中に埋められた焼きものが存在するというのです。一体どういうことなのか? Hasami Life 編集部は、焼きものが埋められているという窯元・高山を突撃しました。

窯のある土地の歴史や、窯元を営んできた高塚家のこと、発掘イベントの模様、出土した焼きもののことまで、まるっとお届け! そして、出土した器を特別に販売します。通常のうつわとは状態が大きく異なるため、記事をよくお読みのうえご購入ください。

 

どうして焼きものは埋められてしまったのか?

かつて波佐見では、うまく焼き上がらなかった焼きものは、窯のそばに捨てられていました。その場所のことを「ものはら」と言います。いまでも、波佐見町内には掘れば陶磁器のかけらが出てくる場所がいくつもあります。ですが、今回埋められているのは、焼き損じたものではなく商品として売られるはずだったいわゆるA品ばかり。どうして埋められてしまったのでしょう?

窯元・高山を代々営んできた高塚家の四代目・高塚英治さんが話してくれました。

高塚英治さん。むかしの薪窯(登り窯)跡地にある「山神社」に今も欠かさずお参りしている。

「わたしの祖母から聞いた話なのですが、戦時中に統制経済になって、焼きものをつくる数が制限されていたんです。そのころに、つくりすぎてしまった焼きものを埋めたのだそうです」

当時、焼きものを焼くには、石炭や木材を大量に使っていました(現在の波佐見町では電気窯・ガス窯が主流)。そうした燃料を軍に供給するために、生産量を制限していたのです。

減産の流れのなかで、なんらかの理由でつくりすぎてしまった焼きもの。行き場のない日用食器は埋めるしかなかったといいます。

ちなみに、太平洋戦争では、物資が乏しくなったころ、波佐見にある窯元で手榴弾をつくっていました。沖縄戦でも使われたとのことです。

波佐見で焼いてつくっていた手榴弾の写真。写真は波佐見町歴史文化交流館より提供していただきました。

そんな時代につくられた焼きものが、土のなかに眠っているというのです。

 

発掘のきっかけは、窯元の事業継承。

どうして今回、80年の月日を経て発掘されることになったのか? 2021年12月、高山は後継者が不在のため、商社・西海陶器へ事業継承することになりました。

新たな取り組みを話し合うなか「敷地の石垣の一部を崩してスペースを広くしようか」という話題になったところ、高塚さんが言ったのです。

なんの変哲もない空き地だと思われていた場所。

「あそこには、戦時中の焼きものが埋まっているんです」

そこから、事業継承を行うこの機会に、発掘しようという流れになりました。

 

大量に出土した波佐見焼! 発掘イベントの様子

一般の参加者も募り、みんなで発掘するイベントが、2022年4月に行われました。

もともと、「3窯分ほどある」と言い伝えられていたものの、その1窯の大きさも特定できないですし、どれだけなにが埋められているのかは不明でした。しかし、掘りだして10分もしないうちに、どんどん焼きものが出てきたのです!

そのほとんどが、茶碗。3つの柄の茶碗が出てきました。こぶりな、波佐見らしい染付(白磁に青い絵具で絵付されている)のうつわです。

あまりの多さに、一度のイベントでは発掘しきれませんでした。長崎新聞では「4000個以上」と報道されていましたが、掘り進めればもしかすると10000個以上にのぼる可能性もあります。まだまだ、引き続き発掘してみないと全貌はわかりません。そのくらい、大量です。

 

発掘して、どんなことがわかった?

発掘の現場にも立ち会った、波佐見町の学芸員・中野雄二さんにも、後日お話を伺いました。

「いやあ、こんなに大量に発掘されるとは思ってもみませんでした。この茶碗は、昭和10年代ごろにつくられたものと推定されます。さらに絞り込むと、昭和16〜17年、太平洋戦争がはじまったころのものなんじゃないでしょうか」

中野さんは、高台(うつわの土台部分)の裏にある、「高」の判子(ゴム判)が押されている点に着目。

「太平洋戦争の終盤には、窯元名は一時的になくなり、波佐見の1文字目と国から数字が割り振られて『波11』というふうに表記されるようになります。ちゃんと窯元の判子が押してあるので、その前につくられたものでしょう」

この茶碗から当時の歴史を見ると、どういったことがわかるのでしょうか。

「日用食器をつくり続けてきた波佐見ですし、しかも戦争中ですから、細やかな絵付のものはつくれなかった。贅沢品になってしまいますからね。だからここまでシンプルに、ささっと描かれているんです。簡素な文様からも、この時代の焼きものを知る上でよい資料になりますね」

こうした極限までシンプルな絵付は「つけたて」と呼ばれる、波佐見の伝統的な技法。輪郭を描かずに、筆の強弱と絵具の濃淡だけで、勢いよくスピーディーに筆を運んで描いている。

茶碗以外にも、数は少ないものの、徳利(とっくり)や酒樽の破片も発掘されました。こうした出土品から判明したことは?

「茶碗以外の出土品は、いまのところ破片などの売り物にならなかったものです。それは、出土した場所が前の時代の『ものはら』でもあったからでしょう。発掘した場所はもともと窯があった場所の近くですし、窯道具も出土しているので、うまく焼けなかったものを捨てる『ものはら』だったことはほぼ間違いないと思います」

「破片のなかには、明治期に遡るものもありました。この高山がある場所では、高塚さん一族が営む前、明治22年に別の方が窯を築いて創業開始したという記述が『波佐見地方陶祖の探究』という文献に残っており、出土品の年代とも合致しています」

高塚英治さんがお参りを続けている敷地内の薪窯(登り窯)跡地に残る、「山神社」の石碑。そこには、明治11年との表記がある。明治期からこの地で作陶していたことは間違いなさそうだ。

明治期に朝鮮半島に輸出用するためにつくっていた「おまる(トイレ)」の一部も出土しているそうです。

出土品と同時代に窯元・高山でつくられた「おまる」。高さ25cm、直径25cmほど。こちらは高塚家にて漬物用に使われていた。輸出した朝鮮では「おまる」だったものの、国内では漬物容器として使用されていたという。用途の違いに驚く……。

「僕が思うに、もっといろんな種類の焼きものが出てきていいはず! 当時どんな焼きものがつくられていたのか? これからの発掘に期待したいですね」

窯元・高山では、今後も第2弾の発掘イベントを検討中とのことです。ぜひ興味のある方は遊びに来てくださいね。Hasami Lifeでも TwitterInstagram でお知らせします。(高山ではInstagramを現在準備中とのことです)

 

出土した古陶磁を販売します!

このたび出土した茶碗が大量だったため、Hasami Life で販売できることとなりました。地中に埋まっていて、80年前ぶりに日の目を見たうつわです。陶磁器は色褪せず、朽ちることのないものですが、出土したものである点をご理解いただいたうえで、歴史的な価値を知ってご購入いただければさいわいです。

また新たに生産できる商品ではないため、確保した数量が売り切れ次第販売終了の可能性もあります。ご承知おきください。

観賞用として飾るのもおすすめです。素朴な花器としてもお使いいただけます。

※できるだけ綺麗なものを選別していますが、釉薬の上から土の色が沈着してしまっているものがあります。
※鉄粉や釉薬の濃淡、ゆがみなど、現代の良品基準では弾かれるものも商品に含まれます。
※手づくりかつ薪窯(登り窯)で焼いているため個体差が大きいです。高台裏の「高」のゴム印も、押印されたものとそうでないものがあります。
※見た目ですぐわかるヒビや割れなどがある商品以外は、返品交換することができません。

出土碗 蘭
1,100円(税込)
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出土碗 十草
1,100円(税込)
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出土碗 花
1,100円(税込)
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専用の箱に入れてお送りします。

「手にとってどんなうつわか見たい」という方は、波佐見町の『くらわん館』でも販売していますので、ぜひご覧ください。

この記事を書いた人
Hasami Life 編集部