鼻歌まじりに、生きた線を彫る。ジャズ喫茶も営むハンコ職人 ・立石聰さんと過ごした2時間。

鼻歌まじりに、生きた線を彫る。ジャズ喫茶も営むハンコ職人 ・立石聰さんと過ごした2時間。

2023.03.31

波佐見町内を車で走っていると、よく目に留まる看板があります。

横向きのピアノに、黄色い文字で「Doug coffee & jazz」と書いてある。ジャズ喫茶かな?でも、こんなところに?

気になりつつ、これまではなかなか足を踏み入れられずにいました。


今回、焼きもの用のハンコをつくる職人さんの取材ということで、訪ねたのが立石清光堂。現地に到着すると、そのすぐとなりに「Doug(ダグ)」の看板が立っています。

じつはこの2つのお店、同じ人が営んでいました。昼間は手彫りのハンコ職人、夜はジャズ喫茶のマスターという2つの顔を持つ、立石聰(たていしさとし)さんです。

もともとはハンコ屋が家業の立石さん。ジャズ喫茶は「道楽ではじめた」と言いますが、九州のジャズ喫茶オーナーやミュージシャンからなる「九州ジャズユニオン」の会長を務めるなど、音楽にも並々ならぬ熱量を注いでいます。


そんな立石さんに、いろいろとお話を聞いてきました。

ハンコづくりのことを中心に、音楽のこと、趣味の釣りのこと、人生についての考え方など。あちらこちらへ寄り道しながら、あっという間に過ぎていった、立石さんとの2時間をお届けします。

 

***

 

立石清光堂があるのは、県道1号線沿い。ゆるやかなカーブを抜けた直線のすぐわきに、「はん」「ゴム印」の文字が見えてくる。

通りに面したガラス戸を開けると、立石さんが作業の手を止めて迎えてくれた。

いろいろと聞いてみたいことはあるけれど、まずはハンコづくりについて、実演しながら教えてもらうことに。立石さんの案内で、店舗併設のご自宅の2階へ。

 

立石:

階段が急だから、酔っ払ってるとこわいんだよ。用心して上がってきて。

 

…さて、ざっとしましょうか。

 

――:

はい、よろしくお願いします。


立石:

何をつくろうかな。簡単なもの、花がいいね。見本があるといいな。

 

~♪(鼻歌で映画『サウンド・オブ・ミュージック』のMy Favorite Thing を歌いながら、見本帳をパラパラとめくる)

 

――:

…準備中のところすみません。そもそもなんですが、ハンコはゴムを彫ってつくっていくんですよね。でもまず用意するのは… 墨と小筆、ですか?

 

立石:

そうそう。彫りたい柄を決めたら、写し絵するの。 和紙に小筆で柄を描いていく。


立石:

描き上がったら、和紙をゴムに当てて、水をつけて、上から金槌で叩くのよ。そうすると柄がゴムに転写されるでしょう?これを、彫る。


 

転写された柄は、ハサミで切り離したあと、ゴムのりで台座に貼り付ける。

――:

カッターは、細いペンのような形をしているんですね。

 

立石:

細かい線を切るからね。この持ち手の部分は、象牙。戦前からうちにあるやつ。

この刃がもうないんですよ。東大吉っていう名人の刃で、手元にあるぶんだけしかない。持ち手は自分で使いやすいように、竹でつくったりできるんだけどね。


刃をまっすぐ見下ろしたときに、刃先が見えなくなるまで研ぐ。

――:

使う前には、毎回研ぐんですか。

 

立石:

うん。砥石に当てるでしょ? こうスッと動かせば、刃全体に当たる感覚がわかるようになる。ちょっとでも角度が悪いと切れなくなる。すーごいむずかしい、これ。

あんまり研ぎすぎてもさ、どんどん減るからね、刃が。がんばって研いでもだめなんだよ。(すりすり…)よし。

ちょっと切ってみますね。


白熱灯であたためながら切るのは立石さん流。「夏はね、これがまた暑いのよ」

立石:

刃を支点にして、こっち(ゴム)を動かすんだよね。そのほうがうまくいく。

 

――:

なんとなく、逆なのかと思っていました。

 

立石:

こういう(刃のほうを動かす)やり方をすると狂いやすい。 

で、黒い線の外側を切ったら、そのあといらないところをとっていくのね。ピンセットで引っ張って、こっちの刃で少しずつ切り離していく。


漁師が魚の皮を剥ぐ動作にも少し似ている(より細やかではある)。

――:

なるほど。ハンコのくぼんだ面がギザギザなのは、そのためなんですね。


――:

立石さんは今、お話ししながらサクサクと手を動かしていますが、これもまたむずかしい作業なんでしょうか?

 

立石:

いかにフラットに彫るかが一番むずかしい。彫った面がデコボコだと、押したときに色移りしやすくなるからね。柄が詰まってるハンコはいいけど、線と線の隙間が広いやつはとくに気をつけなきゃいけない。

 

――:

筆の強弱の表現も、すごいです。

 

立石:

文字なんかはとくに、筆の入りとか溜まりもうまく表現しないといけない。つるっとさせるんじゃなくてね。書いたときの勢いを感じられるように彫るのが大事。


過去につくったハンコはすべてノートに押して保存しているそう。 

立石:

時間をかければいいってものでもないのよ。彫ってるあいだは、必ずストップウォッチで時間を測るの。かかった時間に応じて値段をつけてるから。

今1時間で6000円ぐらい。10分で1000円くらいかな。


――:

一連の技術は、教わって?

 

立石:

うん。親からね。

 

――:

どれぐらいの月日を重ねてできるようになるものですか。

 

立石:

そうだねえ、まず刃を研ぐだけでも5年10年かかるんじゃない? 絵柄を描くのも大変だしね。あとはハンコだけじゃなくて、実印も彫ったりせんといかんから、することはいっぱいある。

 

――:

いろんな技能が必要。

 

立石:

うん。なかなか簡単にはできないもんね。そうなんですよ、大変なんです。

 

――:

細かい作業も多いし、きっと視力もよくないとできないですよね。

 

立石:

おれは中学校のころから、遠くがよく見えないから近眼って言われてた。でも今になって思えば、近くを見る目と遠くを見る目って違うんだよ。

 

――:

どういうことでしょう?

 

立石:

たとえば魚釣り。おれは島に渡って磯釣りをするんだけど、朝まだ暗いうちに出て、島が近づいてくると、船頭さんは「あらあ、もう2人釣っとる」って言うの。おれには島影しか見えん。ええー!?なんでわかると?って。マサイ族のように、視力4.0ぐらいはあるんじゃない?


釣りの話をしているときが一番楽しそう。

立石:

ところが、彼は近くは全然見えない。それは、遠くを見る目に特化してるから。

 

近くさえ見えればいいんだよ、おれはさ。76(歳) になって、だいぶ視力は落ちてきたけど、それでもこの距離感(手元から15〜20cmほど)で見えるから。視力って、その仕事に特化するみたい。

 

――:

必要に応じて、人の身体って変化していくんですね。

 

立石:

彫りの腕が上がるのも、なぜかっていうと、窯元の厳しい注文に応えていったから。有田の窯元の仕事も40年ぐらい専属でやってるけど、やっぱり厳しかった。

厳しい注文に対して、満足してもらえるものをと思ってずっとやってきた。そのおかげで、結果的に腕が上がっていったんでしょうね。


――:

少しさかのぼって、過去のお話も聞かせてください。立石清光堂はいつごろ創業されたんでしょうか。

 

立石:

戦前だね。うちはもともと佐世保市役所の前で印鑑屋をしてたの。波佐見に需要があるということで、こっちに移ってきたのが昭和42年だったかな。

当時おれは東京にいたんだけど、ここに店つくったから帰ってこいって言われて、ええー?って。波佐見のこと知らんし、だいたい、電機のほうが本職だったんですよ。真空管式のテレビをつくったこともあるんだよ。

で、とりあえず帰ってみたら、仕事が山ほどあってさ。どうやって東京に逃げて帰ろうかと思ったけど、当時は焼きもの用のハンコの仕事が次から次へとやってきてた。そこからもう何年だろう。55年ぐらいになるのかな。

 

――:

以前はハンコをつくる職人さんも、結構いらっしゃったんですか。

 

立石:

波佐見はね、3軒あった。有田には4軒あったのかな。

 

――:

現在は。

 

立石:

もう彫る人がいないのよ。絶滅危惧種。有田にも波佐見にもいないから、このあたりじゃおれが最後の手彫りじゃない? あと三河内に1人いて、武雄にも店がある。

今は焼きものが多様化して、ゴム印もあまり使われてないから。やっぱり需要がないとね、後継もいなくなる。これはもうしょうがない。すべて需要と供給だよ。

まあ、代わるものが何か出てくるでしょう。機械化も進んでいるしね。

 

――:

そうは言っても、代替できないこともあるような気がします。立石さんは、手彫りハンコの魅力をどういった部分に感じますか?

 

立石:

機械だと、切り込みが深く入りにくい。手彫りの刃のほうが、やっぱり深く入るよね。機械だとベタッとなりがちで、手彫りはシャープな線が出やすいね。


立石:

あとは、おれの手がけたハンコを押した器が、日本中で使われてると思えばうれしいよね。誰にも彼にもできないことだから。

彫ってて、きついけど楽しい。毎日同じことの繰り返しじゃなくて、違うものをつくれるのも楽しいし、喜んでもらえたらもっと楽しいしね。やっぱり、何かをつくって喜んでもらうってことが生きがいだなと思うよ。

 

――:

お金を払って味わう娯楽と、自分の手を動かしてものをつくる喜びって、まったく質の違うものですよね。

 

立石:

そうそう、違うね。おれはもともとクラフトが好きだったから。

小学6年のときにはじめてラジオをつくったのよ。鉱石ラジオって、一番単純なラジオ。

中3のときには真空管のステレオアンプつくって、スピーカーボックスも組み立てて、家のなかでレコードコンサートをやってた。かけた瞬間にすっごい感動して。自分で組み上げた装置から音が鳴ってる、って。

そっからずーっとその感動が続いてるんだよね。 


所蔵しているレコードの数、なんと4000枚以上!

――:

この作業部屋にも、大きなスピーカーが並んでいますね。

 

立石:

いつもはここでジャズかクラシックをかけながら彫ってて。

すべてにリズムはいるみたいでね。息を止めるとだめなんだよ。自然に呼吸をしてないと、刃先がぶれるしね。しぜーんな呼吸が一番大事。

 

――:

立石さんは、お隣でジャズ喫茶Dougのマスターもされていますよね。ご自身で演奏もされるんですか?

 

立石:

いや、お世話するほうだね。

50年前の波佐見ってさ、音楽の「お」の字もなかったから。そこから少しずつオーディオとジャズの好きな仲間が集まってきて、波佐見モダンジャズクラブって愛好会をつくったの。ジャズ喫茶をつくったのは35年ぐらい前かな。

ミュージシャンの知り合いがたくさん増えて、渡辺貞夫さんとか、日野皓正さんとか、日本のトップの人たちも呼べるようになってね。それは幸せよね。

ハンコにしても音楽にしても、自分の好きなことをできるっていいよね。何よりもいいと思う。その芸が身を助けるけんね。

ちょっとDougのほうも行ってみようか。


立石:

レコード聴いてみる?

 

――:

はい、ぜひ!


〜♪(しばし音楽に身を委ねる時間。立石さんはスナップしながら楽しそうに聴いている)

 

立石:

ベースが一番好きなんだよ、おれ。ここの店もジャズのベーシストの名前をつけてて。

 

――:

まるで目の前で演奏しているみたいな音ですね。気持ちいい。

 

立石:

あれは長崎の放送局から持ってきたスピーカーだね。NBCのスタジオから。不遜な言い方かもしれないけど、生よりも生々しい。

CDもレコードも、どっちもいいんだけれど、CDに出ない音っていうのは、血の通ったあったかい音。数字の羅列だからね。レコードからはね、あったかみ、体温のぬくもりっていうかさ。それが出やすい。

 

――:

血の通った温度感は、立石さんのつくるハンコからも感じます。

 

立石:

生きた線を彫りたいなと思うよ。

そのためには、やっぱり感動するってことが大事。どこにでも感動することって転がってるからね。

いい絵を見て、いい本読んで、いい人と付き合って、いい食事をとって。感動ってそんなところにあるし。その経験が少しずつ自分のなかに入っていって、10年経ったら、触れていない人との差が出てくる。

人と比べる必要はないんだけどね。自分のなかで心が豊かになっていく。

だから、あなたもやってごらんよ。幅広く文化的なものに触れて、感性を働かせて。それを本当に楽しいって思ってやってたらさ、 10年経ったときに、必ず自分が変わってるから。


立石さん自作のウキ。釣具屋に気に入るものがなかったので、コロナ禍の暇な時間につくったそう。「磯秀」の文字も、自らハンコをつくって押した。

 

***

 

音楽を聴きながら、ハンコを彫り続ける立石さん。その姿を間近に見せてもらいながら、たしかな手仕事の感動が、じわりと胸に広がりました。

 

 


1 件のコメント


  • Pam 2024年12月27日 08:48

    Hello,
    I dont know if you remember me. I was an English Teacher at Hasami High School and Hasami Middle School from 1994-1996. Your son was a student at Hasami Chugakko at the time. I came in to Doug’s Coffee and Jazz a few times when I lived there. You always had my favorite piece playing when I came in, “Take Five” by Dave Brubek. I still remember you and your kindness all these years later. I am so glad to see you are still in business, at least as of last year. Wishing you the best in 2025.


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この記事を書いた人
中川晃輔
千葉県柏市出身。大学卒業後、生きるように働く人の求人メディア「日本仕事百貨」の運営に関わる。2018-2021年に編集長を務め、独立。波佐見町のご近所・東彼杵町へ移り住み、フリーランスの編集者として活動している。