【西の原20周年】西の原の100年をたどる。福幸製陶所から現在まで
2026年、波佐見町の『西の原』は20周年を迎えました。
今では10のお店が集まり、多くの人が訪れる西の原ですが、ここはかつて、ひとつの大きな製陶所でした。

たとえば、monné legui mooksは、製陶所時代の事務所・展示場。
monné porteは、生地成型から乾燥までを行っていた細工場。
HANAわくすいは、絵付け・釉掛け場だった場所につくられています。
今も使われている建物をたどっていくと、かつてここで行われていた器づくりの風景が見えてきます。
2026年は、西の原が生まれて20年。そして、福幸製陶所がこの地に工場を移してから、ちょうど100年。
今回は、現在の西の原から少しずつ時間を遡りながら、この場所の100年をたどります。
いまの西の原に残る、かつての仕事場
まずは、製陶所時代の面影を今に残す3つの建物を見ていきましょう。
monné legui mooks
製陶所時代の事務所・展示場だった地に誕生したカフェレストラン。
2006年のオープンから、こだわりの料理やデザートを提供するとともに、人が集い、さまざまな交流が生まれる拠点にもなっています。


monné porte
生地成型から乾燥までを行っていた細工場をリノベーションしたオルタナティブスペース。
さまざまなつくり手たちによる展覧会やライブ、ワークショップなど、文化的な活動が盛んに展開されており、「創造拠点」と呼ぶにふさわしい場所です。


HANAわくすい
絵付け・釉掛け場だった場所につくられた、生活道具のお店。
現在は緑豊かな中庭に面し、木々の間から建物がのぞきます。
店内には、「つくり手の町」ならではの視点で選んだ、日々の暮らしに寄り添い、背景にストーリーのあるものが並びます。


では、この場所全体が製陶所だったころ、どんな風景が広がっていたのでしょうか。
西の原の前身・福幸製陶所(幸山陶苑)
江戸時代の享保年間、中尾山で製陶を始めた「福幸製陶所(幸山陶苑)」。
1926(昭和元年)、8代目であり波佐見町の初代町長でもあった福重武次郎さんの代に、現在の西の原へ工場を移しました。

敷地には細工場、絵付け場、釉薬精製所、登り窯、出荷事務所などが並び、器の成型から出荷までが行われていました。
波佐見焼は工程ごとの分業が特徴ですが、ここではひとつの敷地に、それぞれの仕事場が集まっていたのです。


戦後には、燃料の運搬にトラックが使われるようになりました。
焼成に使う窯も、薪を燃料とする登り窯から、石炭を燃料とする単窯へと変わっていきます。
やがて変電所ができ、電気も使われるようになりました。


1971(昭和46)年には、工場で火災が発生。
それまで分けられていた細工、絵付け、素焼、本焼成の工程が一か所にまとめられるなどの変化がありつつも、ここでは大量の器が生み出され、全国に流通していきました。


こうして、さまざまな変化を経て、長きにわたり器づくりを続けてきた福幸製陶所は、2001年に閉業しました。
再び人が集い、交流する場所へ
かつては製陶所の従業員で賑わいを見せたこの場所にも、静けさがやってきます。
売却されることになった約1500坪の敷地を、波佐見焼の卸売商社・西海陶器が取得しました。この場所を、地域に根差した取り組みの拠点にすべく、リノベーションを始めます。
やがて、この場所には移住者や若手陶芸家、アーティストなどのつくり手たちも集まりました。
それぞれが建物を生かして自分のやりたいことを形にし、2006年、monné legui mooks、monné porte、HANAわくすいが誕生します。

それから20年。
現在では10のお店が集まり、かつての仕事場の面影を残しながら、それぞれのお店らしい空間がつくられています。
敷地を歩きながら、ところどころに残る製陶所時代の名残を探すのも、西の原の楽しみ方のひとつです。
1926年、この地に福幸製陶所が移り、2006年には西の原として新たな時間が始まりました。
そして2026年、そのふたつの節目が重なります。
形を変えながらも続いていく西の原の歴史を、Hasami Lifeではこれからも追いかけていきます。

2026年9月25日の更新では、10月に開催される周年イベントについてご紹介する予定です。
あわせてぜひご覧ください。
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