九州・肥前の焼きもの、産地めぐり【長崎〜佐賀】

九州・肥前の焼きもの、産地めぐり【長崎〜佐賀】

2023.06.16

波佐見町のある長崎県と、佐賀県にかけてのエリア一体には、歴史のある焼きものの産地が点在しています。至るところにえんとつがそびえ、昔ながらの窯跡が残り、その多くの地域で今でも技術が守られ、引き継がれています。

Hasami Life編集部も先日「買い付け旅」で九州・肥前地区をめぐってきました。

買い付け旅でお会いした窯元のみなさんにも、産地についてたくさんお話を伺いました。

すると、今でこそ、それぞれに特色が生まれていますが、その多くはもともと同じ製法で作られており、時代の変化と共に産地や焼きものに「名」がつけられているように感じました。

そこで今回は、Hasami Life編集部の視点で長崎〜佐賀の焼きものをご紹介していきます。

 

【佐賀県唐津】土ものを中心にした作家の町

(写真は「大杉皿屋窯」のコーヒカップ)

 

●唐津焼(からつやき)

“桃山時代から遡り、古い歴史を誇る伝統工芸「唐津焼」。諸説ありますが、近年の研究によると、1580年代頃、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたのが始まりとされています。”(唐津観光協会HPより引用)

産業としての焼きものではなく、生地作りから成形、焼成までを手作りで仕上げる「作家」が多い町として知られているそうです。こじんまりとした小さな窯元も多く、大量生産には向きませんが、その分、唯一無二の「一点もの」を見つけられる産地です。ろくろでひとつひとつ仕上げる、陶器のうつわが多いのも特徴です。

参考▶︎唐津観光協会  https://www.karatsu-kankou.jp/



【佐賀県有田】プロ仕様のうつわ&豪華な絵付

(写真は「やま平窯」のエッグシェル)

 

●有田焼(ありたやき)

“有田焼(ありたやき)とは、佐賀県有田町とその周辺地域で製造される磁器を指しますが、明治以降に広く用いられるようになりました。江戸時代は伊万里焼もしくは肥前焼と呼ばれていました。”(有田観光協会HPより引用)

波佐見焼と同じルーツを持つ有田焼。主に献上品としての磁器を製作してきたため、色絵などを使った見た目が華やかで豪華、高い技術力を反映させた焼きものが多いのです。日本料理店や料亭など、プロの料理人が認めるうつわとしても人気が高い産地ですが、昨今では日々の生活に取り入れやすいスタイリッシュなデザインも多くみられます。新時代の有田焼にも注目です。

参考▶︎有田観光協会  https://www.arita.jp/



【佐賀県大川内】武士に献上する焼きものを作ってきた歴史ある町

(写真は「青山窯」で展示されている陶壺)

 

●伊万里鍋島焼(いまりなべしまやき)

“大川内山は江戸時代、佐賀藩(鍋島家)の御用窯(ごようがま)が置かれた地で、朝廷・将軍家・諸大名などへ献上する高品位な焼物が焼かれていました。これが今に伝わる「鍋島焼」です。” (伊万里鍋島焼協同組合HPより引用)

鍋島焼は「鍋島藩直営の窯」として発達。つまり、今でいう政府や宮内庁御用達の産地。当時、大川内山には関所があり、関係者以外は出入りが禁止されていたそう。天然青磁の鉱床もあり、周囲が山に囲まれた環境はその「秘法」を守るには最適だったようです。1871年(明治4年)の廃藩置県でいったん途絶えた鍋島焼でしたが、近代工芸として復興されて21世紀に至るようです。

参考▶︎伊万里鍋島焼協同組合 https://imari-ookawachiyama.com/

「伊万里焼」とは?

1659年以降、伊万里港で船積みされた焼きものはすべて「伊万里焼」と呼ばれました。長崎出島を経由して海外へ輸出されると、欧州を中心に海外では「イマリ」と呼ばれて人気を博していきます。

現在は、佐賀県伊万里市でつくられると伊万里焼、佐賀県有田町でつくられると有田焼と呼び分けますが、隣接するこの地域の磁器を総称して「伊万里・有田焼」と呼ぶことも旧鍋島藩窯があった地域で作られると「伊万里鍋島焼」というように産地や様式によって名称が変わります。

また、江戸時代に作られた古い伊万里焼は区別して「古伊万里(こいまり)」と呼ばれます。



【佐賀県嬉野】懐かしいレトロな焼きものを未来に繋ぐ産地

(写真は「副千製陶所」の土瓶 ※つるが付きます)

 

●肥前吉田焼(ひぜんよしだやき)

“有田の赤絵町を中心としたエリアを内山、その周りを外山、さらに周りを大外山と呼び、この大外山に位置する肥前吉田焼もまた有田焼と同様400年の歴史を誇るやきものです。豊臣秀吉の朝鮮出兵の折、多くの朝鮮陶工を連れ帰った佐賀県藩主の鍋島直茂は、慶長3年(1598年)、そのうちのひとりを吉田へ送り、陶磁器を作らせました。”(肥前吉田焼HPより引用)

日本三大美肌の湯・佐賀嬉野温泉の近くにあり、嬉野茶を特産品とするこの地域ならではの特性を生かし、茶器を製造する窯元も多かったようです。昭和の食卓によく見られる水玉模様は肥前吉田焼の代表的な柄のひとつ。現代では、カラーバリエーションも増え、若年層にも人気です。

参考▶︎肥前吉田焼 https://yoshidayaki.jp/



【長崎県佐世保】平戸焼から「みかわち焼」へ

(写真は「嘉泉窯」の唐子柄)

 

●みかわち焼(みかわちやき)

“江戸時代には藩の名称から「平戸焼」と呼ばれていましたが、現在では「みかわち焼」と呼ばれます。江戸時代には平戸藩の藩主のための器や献上品をつくる「御用窯」として、篤い保護のもと採算を度外視したような繊細のやきものを、幕末から明治・大正・昭和初期には、ヨーロッパへの輸出のための洋食器や国内向けの高級食器などをつくりました。”(三川内陶磁器工業協同組合HPより引用)

みかわち焼といえば、唐子柄。中国風の髪形や服装をした子どもが遊んでいる姿を描いたものですが、これらは子孫繁栄を象徴するモチーフといわれます。江戸時代後期以降、多く描かれるようになったそうです。天草陶石による透き通るような白磁も人気の秘密。

参考▶︎三川内陶磁器工業協同組合 https://www.mikawachiware.or.jp/



【長崎県波佐見】常に新しいものづくりに挑戦し続ける産地

(写真は「一真窯」の白磁のワインカップ)

 

●波佐見焼(はさみやき)

“波佐見焼は、トレンドやニーズを敏感に感じ取り、逸早く新しいものづくりに挑戦することで作りだされる陶磁器です。ここでは四百年間途絶えることなく続く、波佐見焼の歴史を辿ります。”(波佐見焼振興会HPより引用)

分業制を駆使しながら、産業としての焼きものが根付くまち・波佐見では、時代にあわせて生活者に寄り添う食器づくりが進められてきました。量産するだけでなく、小ロットから制作を請け負う窯元も多く、「波佐見焼」といっても前提やルールがほぼないのも特徴です。町の自由な雰囲気も相まって、昨今では個人作家も多く集まっています

参考▶︎波佐見焼振興会  https://hasamiyaki.com/


すべての産地が400年以上の歴史を持ち、それぞれ伝統的な手仕事の妙を駆使しながら、ものづくりを進化させています。波佐見焼だけでなく、九州・肥前の焼きものにも、ぜひ、注目してうつわ選びを楽しんでくださいね。

この記事を書いた人
Hasami Life 編集部