
窯元探訪【一龍陶苑】vol.36 一瀬龍宏『江戸時代後期から受け継ぐ器づくり』
波佐見には、町の至るところに波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。
波佐見町の中でも多くの窯元が集まる中尾山で創業し、200年ものあいだ、脈々と器づくりを続けてきた『一龍陶苑』さん。そのギャラリー「くらふと龍」に足を踏み入れると、窓から光を受けた色とりどりの器たちが出迎えてくれます。
今回はここで、一龍陶苑の七代目、一瀬龍宏(いちのせ たつひろ)さんにお話を伺いました。
江戸時代後期から続く老舗の窯元

波佐見有田ICから車を走らせること10分ほど。
「陶郷 中尾山」と記されたアーチをくぐると、波佐見町の中でも古くからの窯元が多く集まる中尾山にたどり着きます。車を降りて、焼きものが埋め込まれた橋を目にすると「焼きものの町に来たんだなあ」という気持ちになります。
細い坂道を登ると「一龍陶苑」の文字が見えてきました。先祖代々、この地に深く根を下ろし、器を焼き続けてきた窯元です。
「お墓に刻まれている名前を数えると初代、清兵衛(せいべえ)さんから数えて、私で7代目です。この上に陶山神社という焼きものの神様を祀るお宮があるんですが、その創建に三代目の龍太郎じいさんが関わっているんです。慶応よりも前の時代なので、200年近くになりますね」
波佐見町の中心部にも生産拠点となる鹿山工場があります。
「中尾山は、ご覧の通り山の中ですから、昔は交通の便が非常に悪かったんです。私が生まれた頃はまだオート三輪が走っていましたし、このあたりの商人さんたちは馬車で品物を運んでいたと聞いています。高速道路ができたのも私が社会人になってからですから、ここ30〜40年のできごとなんですよ。
うちも、昭和49年まではこの中尾山の工房に30人ほどの職人さんがいて、絵付けから窯焚きまで、すべての工程をここで行っていました。現在は、規模の大きな製造は鹿山工場で行っています」
そんな一龍陶苑の器づくりにも、大きな転換期がありました。
量から質への転換期
「高度経済成長が終わった頃、結婚式の引き出物といえば焼きもの、という時代があったんです。5個セット、10個セットといったものが大量に売れ、なかには20個セットなんていうのもありました。
同時に、通信販売も盛んになり、とにかく『量』が求められた時代。先代から聞いた話によると、それこそ昔は窯の前には商社さんが『我さきに』と品物を待って列を作るほど、常にものが足りない状態だったといいます」
一瀬さんは、当時の熱気を想像しながら語る一方で、その言葉の奥には、時代の変化への複雑な思いも感じられました。
「その頃、うちも時代の流れに合わせて、生産性を上げるために交通の便がいい町の中心部に土地を求め、大きな窯を築きました。より効率的な量産体制を整えたんです。『量こそ力』という価値観が強くありましたから。
しかし、時代は変わり、バブル経済が崩壊する少し前から、人々のライフスタイルも大きく変化し、『量より質』を求めるようになっていったんです」
大量生産の時代から、個性を重視する時代へ。波佐見焼もまた、その大きな波のうねりの中にありました。
「“量から質への転換期”が、うちにとっては本当に苦しい時期でした。15年ほど前でしょうか。経営的にもっとも厳しい時期に、先代から引き継いで私が社長になったんです。今から思えばあれが、大きな転換点だったのかもしれません」
不動の人気を誇る「しのぎシリーズ」誕生の裏側
経営が厳しい状況の中、一瀬さんは活路を見出すため、東京ドームで開催される日本最大級のテーブルウェアの祭典、『テーブルウェア・フェスティバル』への出展をはじめます。
「当時は、まだ波佐見焼のブランドイメージが確立されておらず、有田焼やほかの産地の陰に隠れているような状況でした」
ちょうどその頃に試行錯誤を繰り返しながら開発したのが、今では一龍陶苑の代名詞とも言える「しのぎシリーズ」です。
「最初は白い大皿と小鉢の、本当にごくシンプルな2種類の器だけだったんです」
鎬(しのぎ)とは、カンナやヘラでうつわの表面を削って作る稜線模様のこと。立体的に削り出した部分に釉薬をかけると、色の濃淡が生まれて独特の表情を見せてくれます。
「鎬は、本来は職人が一つひとつ手作業で彫り込む、非常に手間のかかる技法ですが、うちでは型を使うことで、より多くの人に、より手頃な価格で鎬文様のうつわを楽しんでいただけるように工夫しています。
原型となるデザインは自分で考え、細かな模様の調整や歪み具合など、長年付き合いのある型屋さんと相談しながら形にしてもらっています」
「テーブルウェア・フェスティバルに出展するようになって、直接お客様とお話しする中で、『もっと大きなサイズはないの?』とか、『ほかの形や色はないの?』という、率直なご意見をたくさんいただくようになったんです。それが、新しいものづくりへの大きなヒントになりました」
そこから約10年、お客様の声に応えるようにコツコツとアイテムを増やしてきた一龍陶苑。ただ、新たな型を作るには費用がかかるのも事実です。一瀬さんは常に先を見据え、“効率的”な商品開発をしていきます。
「たとえば、先にシンプルな煎茶碗ができた時には、それに合わせて小皿のサイズ感を考えました。お茶請けを添えられたり、茶托としても使えるような、ちょうどいいバランスにしたくて。
湯呑みを作る時には、次に同じ型でマグカップを作ることを想定して、取っ手を付ける位置や持ちやすさを考えながら、波のような鎬(しのぎ)の模様を入れました」
エッジの効いたフォルムに落ち着いた色釉と鎬(しのぎ)のコントラストが映える器は、今や多くのお客様から愛されるロングセラー商品に。
白一色からはじまったシリーズは、今では10種類以上のバリエーションが生まれました。色や土の種類を変えるだけでぐっと雰囲気が変わります。
「それまでは、どうすればお客様の希望に沿えるか、という受け身の姿勢でしたが、その頃から、自分たちが本当に良いと思うものを提案していこう、という積極的な意識へと変わっていったんです」
大量生産にも対応できる窯元として、OEMによる受託生産を担う一方で、オリジナル商品の開発にも力を入れている一龍陶苑。
「毎年、テーブルウェア・フェスティバルでは、完全に自社のオリジナルデザインのものを発表するようにしていて。そこが、新しいものを生み出すための大きな目標地点になっています。
逆に言えば、ああいう締め切りがあるからこそ、やれるんですよ。ないと、なかなか真剣にやらない。夏休みの宿題と一緒です(笑)」
そう言って、屈託のない笑顔を見せる一瀬さん。200年の歴史を背負いながらも、そこに縛られることなく、新しい挑戦を続ける姿がありました。
========
後編では、一龍陶苑の七代目として、時代が変わっても窯を守り続けてきた一瀬さんが見据える「波佐見焼のこれから」について、さらに深く伺います。
(つづく)
【一龍陶苑】
〒859-3712
長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷975
公式サイト
https://www.1ryu.jp/
オンラインショップ
https://www.1ryu.shop/
Instagram
https://www.instagram.com/1ryu.jp/
コメントを残す