うつわの箱屋さんからはじまった、パッケージメーカー岩㟢紙器の仕事
400年以上、焼きものをつくってきた長崎県波佐見町。その昔、できあがったうつわをわらで梱包していた時代もありました。現在はさまざまな紙箱や木箱に入れられて、お客さまのもとまで届きます。そんな紙箱を波佐見でつくり続けているのが、パッケージメーカー「岩㟢紙器(いわさきしき)」さんです。1960年に、波佐見焼を包装する箱を作る会社として創業。現在はお菓子や化粧品など多種多様なパッケージを手掛けていらっしゃいます。
商品の「顔」ともいえるパッケージ。一体、どんなふうにつくられているのでしょうか。Hasami Lifeで取り扱いしているうつわの箱も岩㟢紙器さんのものが多数あることから、社長の岩㟢大貴(いわさき ひろたか)さんにお話を伺ってきました。
波佐見焼・有田焼の「箱」の会社としてスタート!
――:
岩㟢紙器さんは、焼きものの箱屋さんとして創業されたんですよね。
岩㟢:
そうですね。最初はシンプルな箱をつくっていました。ダンボール紙をサイズの大きなホッチキスの針で留めたものです。そこから、装飾のある箱もつくるようになりました。一般的に化粧箱と呼ばれるような、見栄えのいい箱ですね。
――:
焼きものの箱をつくるにあたって、ほかのパッケージと違う点や気を使うところはありますか?
岩㟢:
焼きものの場合は割れものなので、箱の素材が違いますね。ベースに使う厚紙は、普通は硬い”チップボール”と呼ばれるものを使うんですけど、焼きものの場合はダンボール紙を使うことが多いです。多少のクッション性がある素材なので、衝撃を吸収してくれて中身が割れにくい。うちでは昔からずっとダンボール紙ですね。
――:
波佐見の窯元は小規模な事業者さんも多く、パッケージについて知識が豊富な方ばかりではないと思うのですが、デザインをする上で難しさはないですか?
岩㟢:
昔に比べたら、いまの時代は楽ですね。デザインができるソフトもいっぱい出てきて、専門家じゃなくてもできる部分が増えてますから、お客さま側から「こういう箱をつくりたい」という要望を持ってきてくださる場合も多いんです。要望がない方には、商品の背景やデザインの好みを聞いておつくりしていきます。お客さまが箱に求めているイメージを引き出す難しさはありますね。
――:
どのようにデザインを決めていくのですか?
岩㟢:
だいたい2回ほどサンプルのやり取りをして、 落としどころを決めていく感じですね。"サンプルカッター"という、その名の通り紙からサンプルを切り出せる機械があるので、デザイン室で試作して、その実物をお客さまに見てもらって話し合います。
岩㟢:
お客さまにご満足いただくパッケージをつくるためにも、僕ら営業や企画の人間はベースの知識を圧倒的に身につけておかなきゃいけません。
紙の知識はもちろん、パッケージはファッションとかトレンドに左右されるものなので常に勉強が必要です。今年の人気色やデザインの流行りなど、アンテナを張って世の中の流れを掴んでおかないと。「このうつわのパッケージだったら、こういうものが似合うと思いますよ」と自信を持ってお伝えするには、知識が大前提。この仕事が好きだと、勉強するのも全然苦じゃないんですけどね。
焼きもののパッケージだけでなく。
――:
現在、岩㟢紙器さんは焼きもの以外のパッケージも数多く手掛けてらっしゃいます。ちなみに、波佐見町のお土産として人気の「陶箱クッキー」の箱はどういうふうにデザインなさったのですか?
岩㟢:
クッキーが入っている陶箱を、箱に入っている状態でも見えるようにしたい、かつきちんとしたギフトに使えるようにしたいとオーダーいただきました。フタと、身の底の部分は色紙を貼った箱で、間は透明になるよう塩化ビニル樹脂でつくった箱です。
――:
すごく素敵なデザインの箱ですね。焼きもの以外の箱もつくるようになったのは、いつごろですか?
岩㟢:
20年くらい前からですね。今は生産しているうち3割ぐらいが波佐見と有田の焼きもの関係の箱で、あとの7割はいろんなお菓子やお酒、化粧品の箱などさまざまです。この20年で徐々に比率は変わりました。
――:
20年ほど前というと、波佐見町を含めて、焼きものの生産量が大きく落ち込んだ時期ですよね。今はまた波佐見焼は人気になっていますが……。
岩㟢:
そうです。焼きものの出荷量が減ってきたことで、岩㟢紙器も危機的状況とまではいかなかったですが売上が下がり、そのタイミングで販路を広げていくことにしました。ちょっとずつ営業活動をして、展示会に出展して、いろんな業界の商品のパッケージを手掛けるようになりました。ちょうど僕が大手のパッケージ会社での修行を終えて、波佐見に帰ってきたくらいのタイミングでした。
――:
大手のパッケージメーカーで働いてから、帰郷。戻ってきたばかりのころは、どのような業務をされていたのですか?
岩㟢:
15年くらい、営業をやりました。帰ってきた当初は、岩㟢紙器には焼きもの業界以外のお客さまとは関わりもなかったので、長崎市内でお菓子屋さんなどに飛び込み営業をしてました。ちょっとずつお客さまとのつながりができてきて、次はエリアを広げて福岡へ行くようになったんですよ。そのうち福岡担当の営業を雇うことになって僕の手が空いたので、関東へ売り込みをするようになって。ビッグサイトで行われるギフトショーなどの展示会に出展して、多くのお客さまに見ていただくことができました。少しずつご縁が広がって、いまに至ります。
――:
現在は九州内にとどまらず、多くの取引先があるのですね。
岩㟢:
そうですね。北海道や東北のお客さまはまだ少ないですけど、関東、関西、中部地区にはお客さまが多くいらっしゃいます。あとはインターネットからの問い合わせが、コロナ禍になってから一気に増えました。通販をはじめるときにパッケージを必要とされる方が多かったですね。
「めんどくさい」といわれるパッケージこそ。
――:
営業活動をする際には、どのようなものを作例としてお見せするのですか?
岩㟢:
……めんどくさい箱、でしょうか。フタと身に分かれてパカッと開く普通の箱って、同業者であれば、大体どこでもつくれるんです。機械があって人さえいれば。
そもそも東京のお客さまからすると、東京にあるメーカーさんのほうが物理的に近いじゃないですか。僕らはコミュニケーションに不利な部分もあるし、距離があるぶん価格競争になったら負けてしまうかもしれない。だから、ちょっと複雑な形状の箱をお見せします。日本国内で岩㟢紙器みたいに手の込んだことをやれるメーカーってそう多くないですし、めんどくさいのであまりやりたがらないんです。 機械の導入が大変だったり、箱づくりをする人の技術力や設計の上手さが重要だったり。
――:
なるほど。いわゆる「めんどくさい箱」をつくる上では、デザインも重要だと思いますが、昔からずっと社内にデザイナーさんがいたのですか?
岩㟢:
いやいや、いなかったですよ。デザイン室ができたのは15年ぐらい前ですかね。僕の妻がもともとデザインの仕事をやっていたので、結婚後しばらくしてから試しにデザイン部門をつくってみました。最初はパソコン1台買って「さあ、何をしようか」みたいな感じでしたよ。
――:
じゃあもう最初は、奥さまがひとりではじめて。
岩㟢:
そうですね。そこから人数がすこしずつ増えて、サンプルカッターなどを導入してからは、さらにデザイン室でできることが増えたので、サンプルをつくって提案する流れもスムーズになりました。
――:
自社ブランド「AKERU PROJECT」の引き出しやバッグも、デザイン性が高いですよね。いつからはじめられたんですか?
岩㟢:
もう10年ぐらいになると思います。紙素材の引き出し、バッグ、あと壁掛けの時計や鏡……いろいろつくってますね。
――:
そのプロジェクトをはじめたきっかけはどういったものですか?
岩㟢:
お客さんが増えていく中でいろんな技術が蓄積できて、自分たちがつくりたいものもつくってみようと。自社ブランドは利益を追求するというより、あんまり背負いこまずに楽しくやってる感じですね。商品が増えてきたので、いまは一旦仕切り直しをして整理し、また次の段階に入ろうと思っています。楽しみにしていてください。
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岩㟢さん、ありがとうございました!
【岩㟢紙器】
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