山脇りこの旅エッセイ 【前編】 波佐見町は今日も晴れ。
食べるためおいしいもののためなら、どこまでも行く。無類の旅好き&市場好き。長崎生まれの料理家・山脇りこさんは、長崎市内の観光旅館で生まれ、波佐見焼に囲まれて育ちました。
「わたし、波佐見焼が大好きなんですよ!」
ご縁があって山脇さんと知り合ったHasami Life編集部員は、その言葉を聞いたときから、いつか山脇さんと波佐見を旅できたらいいな、と思っていました。そして実現。
真夏のワンデートリップから、
文:山脇りこ
取材協力:波佐見町歴史文化交流館
写真:Hasami Life編集部
●波佐見町は今日も晴れ。
今日も青空。昔から、わがふるさと長崎市が“今日も雨”でも、波佐見町は晴れていることが多いなと思っていました(実際、ちょっと調べてみたら波佐見町の年間降水量は長崎県全体の中では低め)。長崎県の自治体で唯一海に面していないらしい。
旅をしていると、天気や気温や地形がすなわち風土になり、食が生まれ、文化が芽生え、生まれ育った人のキャラやノリにも影響を与える、といつも思います。
突き抜けるような澄んだ青空、緩やかな山あいの盆地、穏やかでのんびりした雰囲気、これがきっと波佐見を作っているのだろうな。車窓からの景色を見ながら考えていました。
この日、私はHasami Lifeの取材で久しぶりに波佐見町へやってきたのです。長崎と佐賀の武雄温泉を結ぶ西九州新幹線ができて、ぐっと訪ねやすくなりました。長崎駅から新幹線で30分の嬉野温泉駅から、車で15分ほどで波佐見町に着きます。
子どものころはよく、器好きの母や叔父に連れられて5月の陶器市に来ていました。そのころは器が並ぶ中を走り回って冷や冷やさせて、怒られていただけでしたが、大人になって、料理に合わせやすくて、モダンなデザインの“波佐見焼”の大ファンに。
「昔から、すっきりした皿が多かったとよ」とは母の言葉。
「真っ白に藍色で、ごてっとしてなくてね。紺の水玉とか、青い線だけとか網目柄とかね。普段使いの器はうちではほとんど波佐見やったよねぇ」と懐かしそう。
私の生家は長崎の旅館で、ずらっと並ぶ白×紺の水玉の湯呑、急須、ブルーの網目柄の小皿や刺身皿、そして湯たんぽまで磁器で、みんな波佐見生まれだったのです。
湯たんぽ?と驚かれるのですが、枕のような、円柱を横にした形の湯たんぽがあったのです。小さな口があいていて、そこからたっぷり熱湯を注ぎ蓋をして、さらしを巻いて布団の中に入れます。
はじめは熱いのですが、じんわりと冷めながら足元に熱が伝わり、次第にほかほかに。金属と違って足のあたりが柔らかく、熱がほんのりと良き具合で、巻いた布の横から触れる磁肌がつるんと気持ちよかった。
朝には冷たくなっていますが、その冷たさも優しかったのをよく覚えています。お客さんの分と家族の分の湯たんぽをずらっと並べ、やかんで湯を入れていくのを見るのも好きでした。
「でも“波佐見焼”という名前で世に出るようになったのは、この20年くらいのことなんですよ。それまでは、波佐見焼も有田焼もほとんど区別されず、有田焼として売られることが多かったんです」と話してくれたのは、今日、案内してくださる西海陶器の福田孝高さん。
え、そうなの? とちょっとびっくり。勝手に、生活品・日常使いは波佐見焼で、工芸品・よそゆきはお隣の有田焼と、くっきりわかれていると思っていたから。
では歴史を知りましょう、ということで「波佐見町歴史文化交流館」へ。
学芸員の中野雄二さんに波佐見焼の歴史を教えていただくことになりました。うーん、ぶらタ★リみたい。楽しすぎる。
●庶民も磁器が使えるようになったのは、波佐見のおかげ!?
江戸時代直前の1599年頃(慶長4年)、波佐見町村木の畑ノ原、古皿屋、山似田の3か所に登窯が築かれ、やきものづくりが始まったと言われています。
これが波佐見焼の始まりで、今から約400年前のこと。お隣の有田も同じ時期に始まったので、江戸時代から400年以上にわたり、ともに窯業で名をはせてきたことになります。
波佐見町と有田町、隣接はしていますが、波佐見は旧大村藩(藩主の大村純忠は、日本初のキリシタン大名として知られています)で現在は長崎県。有田は旧鍋島藩で現在は佐賀県です。
かつては、ともに伊万里港から出荷されていたため、総称して伊万里焼と呼ばれていました。江戸時代や明治初期の古い有田焼や波佐見焼が「古伊万里」と呼ばれる由縁です。
その後、有田に国鉄の駅ができて、有田駅から出荷されるようになり、今度は総称して有田焼に。
「国鉄の駅が波佐見にできていたら、すべて波佐見焼と呼ばれるようになったんじゃないかな」と学芸員の中野さん。
以来、波佐見で焼いても有田焼のシールを貼って有田駅から出荷していたのだそう。
しかし、ともに磁器が得意と言っても、もともとは原料になる陶石の採掘場も違っていました。また有田と波佐見が交流しながら、技術を切磋琢磨してきたかと思ったら、それもなかったそう。
「有田は高い塀を作り、自分たちの技術を秘して守り続けたんです。陶工が有田を出て独立することも許さなかったと聞いています」
結果、有田焼には、工芸品である柿右衛門様式や鍋島様式が生まれ、欧州で模倣されるほどの高い評価を受けたり、幕府への献上品になったりしたのでしょう。しかし、波佐見は違っていました。
●波佐見はもっと自由だった!
「波佐見は柔軟だったんですよね。ここで修業した陶工が外に出ることもかまわなかった。波佐見の商人は日本各地を回って磁器を売り、陶工は技術を伝えました。その結果、全国に磁器が広がったんです。磁器が日用品として津々浦々に広がったのはいわば波佐見のおかげです」と中野さんはつづけます。
波佐見町歴史文化交流館には、全国各地で見つかった古い波佐見焼の器や、どのように伝わったかが示された地図も見ることができます。
たとえば、江戸時代に商人が「飯くらわんか、酒くらわんか」と言いながら売ったという「くらわんか碗」。粗い地にシンプルな絵付け、お値段はリーズナブルで、庶民にも手が届く磁器だったことから全国に広がったそう。庶民の暮らしの中にある器として、日本の食文化の発展を後押ししたとまで言われています。
今や生活磁器のことを指すと言っても過言ではない「せともの」とは「瀬戸もの」のことで、愛知県瀬戸市の陶磁器のことですが、波佐見より遅れること100年後に登場したのだそう。これも波佐見がある肥前地区からの技術の伝達があったからと聞いて、眼からうろこでした。
磁器がここまで暮らしに浸透したのは、波佐見の名もなき陶工たちの磁器に日々の暮らしで愛される器量があったからなのでしょう。そしてすぐ隣なのに有田とは全くちがう、波佐見の気質があったからこそ、というのが面白い。
技術をオープンにして「よかよ、よかよ、どんどん作らんね、使いやすか皿はみんなが喜ぶたい」そんな当時の陶工たちの声が聞こえる気がします……と思ったら、西海陶器の福田さんの声でした。
「いいよいいよ、教えるよ、協力するよ、やってみな、って、今もみんなで知恵やアイディアを出し合って、共有して、盛り上げているんです。波佐見の人はそういう気質なのだと思います。面白いことが生まれるからって、若くして次世代に会社を譲る人も多い。小さな会社が多くて、社長がいっぱいいて、みんな新しい挑戦を厭わない。それにみんな仲がいいんですよ。日常的に仕事以外でも交流があって、だからこそ新しい発想の商品やビジネスが生まれるんだと思います」
確かに、この15年ほどでしょうか。東京のセレクトショップなどで、あらいいじゃない?使いやすそう?と手に取ると、HASAMI=波佐見かー!と思うことがよくあります。長崎人の私としてはとても嬉しい瞬間です。
江戸時代から脈々と続く、進取の気性、しがらみにとらわれないオープンさ、挑戦を楽しがる波佐見らしさ。やっぱりピーカンな青空が関係してそうじゃないですか。
●波佐見愛をじわっと感じる、懐かしい柄、変わらぬ白さ
福田さんは東京から戻ってきたUターン組。波佐見で生まれ育った後、東京で18年間すごし、もう大都会はいいかなと思ったそうです。「帰ってきて、本当に正解でした。満員電車に子どもを乗せるより、波佐見で育てられてよかった」と。
西海陶器を訪ね、福田さんが企画した器を見せてもらいました。20年近く前、有田の名前ではなく、自分たちらしい波佐見らしい器を、波佐見の名でだそう、それで勝負してみようと“波佐見ブランド”を表に出すようになったのだそうです。
「有田の名前ででています」からの脱却。新たなデザインを取り入れ、外部から人も招き、波佐見=HASAMIとしての挑戦が始まります。私が思わず手に取ることが増えたモダンな器の数々はそうして生まれたのでした。
一方で、誰もが知る日本中で愛された波佐見焼の復刻版も作られていました。中でも私の目が釘付けになったのは、子どものころに毎日使っていた懐かしの柄。母も好きだった掛け網柄やシンプルなストライプ、唐草柄。作り手の波佐見愛を感じます。
やはり波佐見焼は透き通る白磁の美しさ、つるんとした手触り、呉須色(ごすいろ=淡い藍色)で描かれた模様、濃(だみ)と言われる濃淡だけで描かれた線が特徴だなあ、と改めて思いました。
「澄んだ白色、すべすべの磁肌、いつも頬ずりしたくなるんですよー。白い器は、海外にも100円ショップにもあるけど、並べて比べたら波佐見焼の白のすごさは一目瞭然だよって、料理教室でも言うんです。しかも触ったらもう全く違うからって」と私が鼻息荒く言うと、「では、その白とすべすべの秘密を見に行きましょうか?」と福田さん。
えっと……それは?と尋ねると「陶土です」ときっぱり。
日本でも、いや世界でも、磁器では唯一と言われる、陶石だけから作られる、まぜものなし! の陶土に、その秘密があるというのです。ええ、ぜひ! 見に行きましょう。
料理と波佐見焼(その1)
紅芯大根と大根、金柑で作ったなます。紅白大根はしっかり塩も
(料理と撮影:山脇りこ)
【後編】(2月2日公開予定)へつづく!