窯元探訪【洸琳窯】江添三光さん vol.16 鳥獣戯画の絵付も習得した京都修行

窯元探訪【洸琳窯】江添三光さん vol.16 鳥獣戯画の絵付も習得した京都修行

2021.05.28

波佐見町には全部で59軒の窯元があります。そして小さな町の至るところに、波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。

今回は、総手描きの絵付で器を使う人の心を掴む、洸琳窯(こうりんがま)の社長、江添 三光(えぞえ かずみつ)さんを訪ねました。

器づくりについてはもちろん、ふだんは見られないプライベートな顔まで全3回でご紹介します。

波佐見で随一の絵付の腕前をもつ江添さん。いきいきとしたうさぎやカエルが描かれた鳥獣戯画や、繊細に連なるあみ文様、シンプルにリデザインされた瓔珞(ようらく)の絵付。どれも「これぞ洸琳窯」という技術とデザインが注ぎ込まれています。

伝統文様を大切にしながら焼きものをつくってきた、絵付師であり起業家でもある江添さんの足跡をたどる第1回目です。

江添三光(えぞえ かずみつ)
1941年、波佐見町永尾郷に稲作農家の長男として生まれる。15歳で波佐見焼の窯元・永峰製磁株式会社に入社し絵付師となる。1987年に45歳で独立、洸琳窯を起業。若いころに京都府の清水焼と愛知県の瀬戸焼の窯元で修行した経験を活かし、美しい手描きの絵付の焼きものを手掛ける。波佐見焼の伝統工芸士として若手の育成にも熱心。

 

筆まで手掛ける、精緻な洸琳窯の“あみ”

――:
洸琳窯さんといえば、“あみ”の文様がすばらしいとよくお聞きします。

江添:
すごく評判はいいですよ。手描きで細く小さいあみを描いてるんです。

洸琳窯でつくるあみ文様の急須と湯呑。機械では描けないような細部まで絵付が施されている。

――:
なかなか、こんな繊細にあみを描けないですよね。

江添:
自分で自分を褒めるのもなあ(笑)。客観的な意見を聞きましょう。
(ちょうど洸琳窯に来ていた商社の方に向かって)量産品でこんなあみを描いてるの、めずらしいですよね?

商社さん:
あ、はい、急に失礼します。そうですね、量産品では無理ですね。1個10〜20万の作品をつくる作家さんたちは描きますけど。価格を抑えた量産品で、このクオリティは、よそでは無理だと思います。

――:
ありがとうございます。江添さん、このクオリティと価格は、どうして実現できるんですか?

江添:
慣れですよ。長年訓練して早く仕上げることができるから、単価を抑えられるんです。はじめてあみを描く人は、慣れた人のようには描けません。それは当たり前。そのときは速く描けなくても、洸琳窯では私が指導しますから。ちゃんとコツコツ続けていけば、描けるようになるしスピードアップもします。でも、そもそも指導してくれる窯元さんが今は少ないですからね。あみを描ける人もどんどん減ってます。

――:
やっぱり指導する体制がしっかりしていてこそなんですね。それから筆もあみ専用にカスタマイズしているとお聞きしました。職人さんってみなさん筆がつくれるものなのですか?

江添さんがカスタマイズした筆。ある程度使った筆の毛を削って穂先を細く加工している。

江添:
筆をカスタマイズしてる人なんて、滅多におらん、おらんよ!(笑)
わたしは速く描くために、いろんな絵柄に合わせた筆をつくっています。細い“あみ”用、青海波(せいがいは)用、祥瑞(しょんずい)用……どれも少しずつカスタマイズしてあるんです。

江添さんがつくった、ふちまわりに線を引くための筆。ふちに沿わせると効率よく線が引ける。

試している様子がこちら。丸皿ではなく変形したふちの器の場合、ろくろの上で回転させて一気に線をひくことができないため、この筆が重宝するそう。

――:
いつからこんなふうに筆をつくっているんですか?

江添:
20代のときからだから、だいぶ経ちますねえ。私がつくった“あみ”用筆だと、ずっと同じ細さの線が描けるので、作業効率がグーッと上がります。もちろん普通の筆でも描けるけれども、この“あみ”専用の筆ほど速くは仕上げられないんです。この筆を使ったら生産量が約2倍になった人もいました。

――:
そんなに絵付がスピードアップするんですね。洸琳窯さんの焼きものを見ると、繊細な手描きの絵付で、とても丁寧な仕事をされる窯元さんだと思っていました。ただそれだけでなく、生産性を上げるために、きちっと効率化するところはしているんですね。

江添:
そうそう、どうしたら速く美しく描けるか。うちはデザインも、伝統文様をシンプルにアレンジしています。その上で絵付師さんに指導をして、速く描くための筆をつくって。ただ絵付が美しいだけでは不十分。やっぱり波佐見で窯元をやる以上は、日用食器としてある程度量産できることが必要だと思ってます。

 

憧れの京都での修行が、絵付のルーツ。

――:
江添さんは生まれも育ちも波佐見。でもご実家は焼きもの関係ではなかったんですよね。

江添:
そう、実家はここよ、波佐見町の永尾郷。稲作農家で、米や麦をつくってました。長男だし百姓を継がないといけなかったから、町内で就職先を探して、中学を卒業してすぐ永峰製磁株式会社で働きはじめました。焼きものをしながら、百姓もしとったんです。

――:
農業と永峰さんでの仕事を両立。そんなことできるんですか?

江添:
できますよ。波佐見は昔から「半農半窯」って言いますから。今もそうですけど、窯業のかたわら農業を営む人が多かったんです。忙しいときは朝4:30に起きて畑に出て、朝食をバッとかきこんでから会社へ行って夜まで働いて、みたいに過ごしてましたね。

――:
すごい働き者ですね……!
15歳で窯元に入社して農業もこなし、17歳から約2年間は修行のために波佐見を出られています。今から約60年前のことですね。京都に1年ちょっと、そのあと瀬戸に半年ほど。どうして修行に?

江添:
私が「修行に行きたい」って言ったの。当時の永峰さんの社長に「うちの会社に帰ってくるんだったらいい」と許しをもらって行ってきました。一度波佐見を出てみたかったんですよ。農業の仕事もあるし、親がまだ若くて仕事をしているうちにと思ってね。

――:
江添さんとしては、京都で修行したいっていう気持ちがあったんですか?

江添:
どんな場所か全然知らなかったですけど、「勉強するなら京都だぞ」と周りの人に言われてたから、修行先は京都に決めてました。

京都で修行したのは1年ちょっと。その後もコロナウイルスが流行する前は毎年京都へひとりで行き、焼きもののデザインを考えるため視察していたそう。

――:
京都ではどんな修行をしていたのですか?

江添:
今はない窯元さんだけど、昇峰窯(しょうほうがま)さんで住み込みで働いてました。夜は勉強のために焼きもの教室に通ってました。そのあと、家に帰ってからも新聞紙に習った絵柄を描いて練習してましたね。

――:
ひたすら絵付をしていたんですか?

江添:
京都では絵付の勉強の中に書道や生花も組み込まれてました。そんなに好きではなかったですけど、基本を習ったおかげで今も覚えてますね。お正月に我が家で花を活けるのはわたしの役目です。

――:
焼きもの教室なのに、書道や生花もやるんですね。

江添:
もう60年前の話ですから、今も同じように教えてるかはわからないですけどね。昔も今も波佐見では絵付しながら書道とか生花とか教えませんから、新鮮でしたよ。最初の半年間は焼きもの全般を習うっていうことで、ろくろと、あと彫刻もやりました。

――:
もう、勉強漬けですね。波佐見から京都へ出て、恋愛とかは……?

江添:
へっ、恋愛?! そりゃあもう、楽しかったですよ(笑)言えないようなドラマが、いろいろがあったなあ。

――:
プライベートも充実してたんですね(笑)
そうした修行が、今の作風につながっていると。

江添:
わたしの絵付のルーツは、波佐見と京都と三川内。京都では唐草や鳥獣戯画、山水などの描き方を習得しました。三川内焼の代名詞、唐子も永峰さんのときに師匠に習ってね。洸琳窯ではずっとつくってる絵柄です。

京都で習得した鳥獣戯画の文様。「江添さんが描くとうさぎやカエルの躍動感が違う」と評判。洸琳窯ではいろんなシーンを描いている。

波佐見と同じく肥前地区の焼きものである三川内焼の絵柄の唐子(からこ)は、同じ永峰製磁株式会社にいた絵付師の竹下茂さんに師事し習得。中国の子どもの姿を描いた文様は、朝廷や幕府の献上品としても用いられ、江戸時代には三川内焼でしか描くことが許されていなかった。(参考:旅する長崎学 https://tabinaga.jp/

 

伝統文様をシンプルにリデザイン

――:
修行から帰ってきて、約束通り永峰さんに再入社して。修行の成果はすぐ出ましたか?

江添:
どうやって京都で私が習得した技術を活かしていくか、悩みましたよ。永峰さんでデザインも任されるようになって、試行錯誤を重ねました。

たとえばこれは京都で習った祥瑞(しょんずい)という絵柄なんですけど、技術的につくることはできても、こんな細かいものばかり波佐見で描いていられないです。

中国明代のこうした文様の器に「呉祥瑞(ご しょんずい)」と銘があることから、祥瑞(しょんずい)の名がついた絵柄。

――:
当時、祥瑞のような絵柄は波佐見にはなかった?

江添:
なかったし、そのまま描いたって売れないんです。それに私だけ描けても意味がない。永峰さんでは、多いときで100人を超える従業員さんがいました。ある程度みんなが描ける絵柄を考える必要があったので、絵柄の一部をワンポイントで描いたり、複雑な模様をシンプルにしたり工夫して。

――:
複雑な模様をシンプルにする、というのはどういうことですか?

江添:
たとえば、うちで最近人気なのが、この瓔珞(ようらく)のシリーズ。本当はもっと複雑で手間がかかるんですけど、すっきりした絵柄にリデザインしています。

左が伝統的な瓔珞(ようらく)絵柄。右が洸琳窯で江添さんがシンプルにリデザインしたもの。

――:
確かに、雰囲気は残しながら、シンプルになっていますね。手描きにこだわってらっしゃいますが、そのクオリティを守りつつ、絵柄をできるだけシンプルにして、量産できる器として開発していったんですね。

江添:
昔からある伝統文様をシンプルに再構築するのが、私の考えるデザインの特徴ですね。京都や三川内の技術を大切にしながら、オリジナルの雰囲気をつくっていく。このデザイン手法は永峰さんにいるときも、45歳で独立して洸琳窯をつくってからも変わりません。

 

絵付師だからこそ、しっかり経営ができる。

――:
45歳で独立。じつはこれまで「窯元探訪」でお話をうかがった方々は、代々焼きものに携わっていた家系の出身者が多いです。窯元を自分でイチからつくりあげるのは、大変ではなかったですか?

江添:
まあ、お金はかかりますけど、窯元をつくるのは誰でもできますよ。興味と技術があればね。ただし、ある程度のレベルのものがつくれればどんどんものが売れた昔とは時代が変わってきているので、その点では難しいかもしれないなあ。

「誰でも窯元はつくれる」と江添さんは言うが、数年で廃業する作家や窯元さんも多い。長年窯元を営むには、ゆるぎない技術力や指導力など、さまざまな能力が必要とされる。

――:
江添さんは社長でありながら、第一線で描き続ける現役の絵付師でもあります。経営者と絵付師、両立するのは難しくないんですか?

江添:
難しくないです。むしろ原価計算や生産管理をするためには、現場の感覚がわかっていないと。絵付ができれば「私はこの絵柄を1日100個描ける。従業員さんは80個は描けるだろう」とほぼ正確に把握できるんです。そうすれば、材料費と従業員さんの給料などと合わせて計算して1個の原価が出せる。そしたら売る値段も算出できる。手描きの絵付で窯元を営むなら、自分が描けないと難しいですよ。

――:
なるほど。もっと絵付に打ち込んで技術を高めたいけれど、経営のことを考えないといけなくて絵付に集中できない、なんてことはありませんか?

江添:
自分が描けないものは技術を高めないと描けないけれど、自分がすでに描けるものは、ススッと描けます。高い技術を持っていれば、売る値段も上がるし、経営にもいい影響しかありません。だからまずは、技術がないと。当然ですが、ここが一番大切なことです。

 

+++

 

【洸琳窯】

公式サイト
https://koringama.net/

オンラインストア
https://koringama.official.ec/

Instagram
https://www.instagram.com/koringama/

長崎県東彼杵郡波佐見町永尾郷34−1
電話: 0956-85-6620
定休日:不定休

※洸琳窯さんの商品は現在、Hasami Lifeでお取り扱いがございません。上記の洸琳窯さんのオンラインストアなども併せてご確認ください。


 

 


 


この記事を書いた人
Hasami Life 編集部