窯元探訪【光春窯】Vol.34 馬場春穂『理想の色を追い求めて。釉薬へのこだわり』

窯元探訪【光春窯】Vol.34 馬場春穂『理想の色を追い求めて。釉薬へのこだわり』

2024.08.23

波佐見には、町のいたるところに波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。

今回訪ねたのは、確かな技術と熱くオープンなお人柄で、スタッフのみならず商社や専門店などの取引先からも厚い信頼を得ている「光春窯(こうしゅんがま)」の当主、馬場 春穂(ばば はるほ)さん。

京都での修行時代のお話や釉薬へのこだわり、若手育成への思いを前編・後編に分けてお届けします。



波佐見焼の源流とも呼ばれる「中尾山」

役場などがある波佐見町の中心部から車を走らせること15分。光春窯さんのある中尾郷は波佐見町の中でも古くから多くの窯元が集まる地域です。地元では「中尾山(なかおやま)」と呼ばれ親しまれています。

世界最大規模の登り窯跡をはじめ、町のところどころにそびえるレンガ造りの煙突、細い路地裏や磁器が埋め込まれた橋といった“焼きものの町”を象徴するような風景が広がっています。

車幅ギリギリの細い橋を通り抜け、急な坂道を登ると見えてきたのは光春窯さんのショップ兼工房。ショップに入ってまず目に飛び込んできたのが一枚のイラストとサインです。


光春窯さんは、波佐見焼をテーマに大人のための恋物語を描いた人気漫画『青の花 器の森』の舞台にもなった窯元です。

漫画『青の花 器の森』小玉ユキ先生インタビュー記事はこちら

「このあたりは急坂の川沿いに窯元が多いんです。かつてはすぐ近くの白岳山で陶石が採れ、ゆるやかな傾斜も多く、登り窯が作りやすかったのだと思います。以前は近くの川沿いにも陶土を砕くための水車が150基くらいあったそうです」と教えてくれたのは光春窯の当主、馬場春穂さんです。

中尾山は波佐見焼の「源流」とも言われる場所。陶石採掘や水源の利便性など焼きものづくりに適した環境が整っていました。

そのうち窯元がひしめく中尾山が手狭になってきたため、田んぼの広がっていた平地に下り、窯場を広げた窯元さんも多くあります。そのため、波佐見は山の麓と平地の両方に窯元が点在している産地なのです。

「私も一時期は有田のほうに窯を移そうか悩んだ時期もありました。というのもここは崖崩れが発生しやすく、うちも30年ほど前に一度、崖崩れによって工場が潰れてしまったことがあったんです。そのときは県や国の工事の認可が早めに下りたのですぐに窯場を建て直し、何とかここに残ることができました」

今、中尾山に残っている窯元は20軒ほど。その数は馬場さんが25歳で帰郷した頃とあまり変わっていないといいます。

「窯元の数は変わっていませんが、焼きものの仕事に携わっている人の数はかなり減りましたよね。代が変わって、ここに住んでいる人でも『焼きものの仕事はしない』という人も多いです。この地区もピークの時は1,500人ほどの人が住んでいましたが、現在は300人程度。波佐見町全体の窯業人口もかなり減っていて、ピーク時の60%ほどになっているのではないでしょうか」


“財産”をもらった京都での修行時代

波佐見町出身の馬場さんは佐賀県の有田工業高校の窯業科を卒業後、修行のため京都の老舗 『瑞光窯』 に入社。うち2年間は京都市工業試験場に入所し、 焼きものの生産工程において重要な釉薬の研修に従事しました。6年間の修行を終えて帰郷し、1984年に光春窯を創業します。

「商売ですから、いい時もあれば悪い時もあって。廃業したり次の代で復興したり。このあたりでもそういった窯元は何軒かあり、うちも親の代で一度、窯元としての仕事は廃業しています。ただ、波佐見は分業の町ですからその間もつなぎに生地業や絵付け業を営み、焼きものに関連する仕事は続けてきました」

京都での修行時代を「今になって思えば感謝しかない」と馬場さんは振り返ります。

「高校を卒業したばかりの頃、家業が潰れてしまいお金もなかった。そんなときに京都で学ばせてもらい、焼きもの全般の知識・技術を得ることができました。あのとき、一生ものの財産をもらったなと思います」


独自の釉薬から生まれる繊細な色表現

「普段使いしやすいシンプルなデザインを目指している」という光春窯さん。ショップに置かれている商品を見渡してみると、一つの窯元から生み出されたとは思えないほど色も形も多種多様です。

「取引先さんから『こういうものを作りたい』という相談を受け、試行錯誤し、それを形にしていくのが窯元の役目です。商社の方はオリジナル性を求めているので、一つの形状でも釉薬の処理を変えたり絵付けをしたり。商社それぞれにカラーがあるので、たとえばA社とB社ではタイプの違うものを提案するように心がけています」

なかでも光春窯さんのこだわりは、釉薬の性質と焼成条件の絶妙な組み合わせから生まれる多彩な色表現です。

「独自に調合して釉薬を作っているので、微妙なさじ加減の色も表現できます。京都で修行していた頃は毎日のように、幅広く釉薬の表現を試していました。取引先の方に『こういう色、質感のものが欲しい』と言われたらテストピースを引き抜いて、そこから少しずつ理想の色味に近づけていく作業をします」

たしかに、よく見ると同じ白いうつわでもマットなものもあればキラキラした質感のものもあります。

「釉薬には鉱物が5〜6種類入っているのですが、焼くと鉱物同士が結合して結晶が生まれ、その結晶化したものが光って見えるんです。単純に色だけでなく、質感や風合いも表現できる。そういう釉薬のおもしろさに魅せられています」


繊細な色表現を得意とする光春窯さんですが、あくまでも自分たちは量産型の窯元だといいます。

「作家さんの苦労とわれわれの量産の苦労はまた違いますよね。作家さんは1個や10個、目指すものを一生懸命作られる。けれど、私たちが目指しているのは反復生産で、量産品です。1個目から1,000個目、1,000個目から10,000個目まで一緒のものを常に狙って作っています。そういう意味ではまだまだやれること、やらなきゃいけないことは多いなと感じています」

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後編では、光春窯さんが5年前に導入したという3Dプリンターのお話から機械と手仕事の関係、若手育成への思いを伺います。

(つづく)


【光春窯】

〒859-3712

長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷627

公式サイト
https://www.koushungama.com/

オンラインショップ
https://koushungama.theshop.jp/

Instagram
https://www.instagram.com/koushungama

この記事を書いた人
寺田さおり

会社員としてタウン誌・企業広報誌の編集部でコンテンツ制作を経験し、独立。現在はライター・編集者としておもにライフスタイル、ものづくり、地域、働き方をテーマに取材・執筆をしている。また、フードスタイリストとして料理撮影でのスタイリングを手がけることも。Instagram @sor.trd