窯元探訪【筒山太一窯】福田太一さん vol.20 料理を盛ってなんぼ。模索し続ける、和食器の可能性。
波佐見町には全部で59軒の窯元があります。そして小さな町の至るところに、波佐見焼と真摯に向き合う「人」が存在します。 今回は、筒山太一窯(つつやたいちがま)の2代目・福田太一(ふくだ たいち)さんを訪ねました。 器づくりについてはもちろん、ふだんは見られないプライベートな顔までを紹介。前編 に続き、後編をお届けします。
料理をするひとに喜ばれる器を。
筒山太一窯が創業したのは1988年。現在、会長職につく福田友和さん(太一さんの父)が開いた窯元です。元々は 生地屋 として働いていた友和さんは、釉薬に世界に興味を持ち、窯元として独立することに。工場の裏山の名前である筒山(つつや)に当時3歳だった長男・太一さんの名前を重ね、窯業としての一歩を踏み出したそうです。
継ぐことに関して、抵抗はなかったのかと尋ねると……?
「小さい頃から窯元の仕事を見て育ったので、いずれは継ぐことになるのだろうなと思っていました。中高生の時は、自分の名前がついた社名がやっぱり少しだけ恥ずかしかったんですけど」と笑います。
「高校卒業後は、長崎市内の調理師専門学校へ入学しました。料理が好きだったこともありますが、父のアドバイスが大きかったですね。器は料理を盛ってなんぼ。だから、焼きものづくりの勉強になるだろう、と。“焼きものは、料理との相性だ” というのは、今でも一番に考えてデザインしています。ものありきで考えてしまうと、どうしても使うときにしっくりこないですよね。料理本を見て参考にすることも多いんですよ。メニューのイメージがしっかりできないと、形状を決められないですから」
以前Hasami Lifeでは、旅と食をテーマにした活動でテレビや雑誌、ウェブなど各種メディアでひっぱりだこのユニットand recipe(アンドレシピ)の山田英季(やまだ ひですえ)さんに登場いただき、波佐見焼を使って料理を盛りつけてもらう企画「波佐見焼 × and recipe のあたらしいおかず」を展開しました。
山田さんがセレクトした器の中には前編で紹介した 白化粧も。たっぷりの豚汁が椀ではなく、ボウルに盛りつけられ、箸ではなくアンティークのスプーンを組み合わせたスタイリングは編集部内でも話題になりました。
「わたしも家でスープを盛りつけたりするんですよ! こんなふうにおしゃれに組み合わせてもらえたらうれしいですね。それぞれの器に“飯碗” や “ボウル” などの名前はついていますが、用途を限定せず自由な発想で使ってもらいたいと思っています」
あくまでも、太一さんの中でより輪郭をはっきりさせるため、確固たるイメージを持っているだけ。その作陶スタイルだからこそ、世界各国〜全国各地のキッチン道具や焼きものを手に取る機会の多い料理人である山田さんに自然と伝わったのかもしれません。
陶器の和食器も、磁器のHASAMIも。
「料理をイメージしてデザインを考えていると話しましたが、そのほとんどは和食です。父の代から、和食関係のお仕事を多くいただいている影響も大きいですが、わたし自身も陶器で作られた温かみのある和食器が大好きなんですよね」
筒山太一窯の波佐見焼は8〜9割が陶器。中でも、今おすすめの和食器を見せてほしいとお願いすると、朝鮮唐津(ちょうせんがらつ、写真左)とブルー釉(写真右)を紹介してくださいました。
30代の太一さんが手がけているというと、少しギャップを感じるような渋めの作風。どちらも一部に藁灰釉(わらばいゆう)という、藁を燃やしたあとに残る灰を原料とした釉薬を使用しています。とろんと流れやすい藁灰の性質を生かし、グラデーションのような模様を生み出します。素人目に見ると、釉薬のかけ方を変えているのかな? と思うものですが……。
「これも窯の温度と窯詰めの場所によって表情をつけているんですよ。例えば、ブルー釉。酸化焼成で焼いているのですが、温度が低すぎるとすべてが真っ白になってしまうんです。ひとつとして同じ焼きものを作ることはできませんし、窯から出すまでは予想もできません」
とはいえ、和食器だけを作っているわけではありません。波佐見焼を一躍全国区にした マルヒロ さんのブランド『HASAMI』の製造も一部担当しています。ポップでありながらもスタッキング収納できる実用性と遊び心で若年層にも大人気の器です。
「うちで担当しているのは、グリーン・ブラウン・イエロー・ベージュですね。釉薬をかけるために作られた専用のハサミを使うことで、ムラなく釉薬をかけることできるんですよ」
カラーごとにいくつかの窯元で分担して釉薬をかけて仕上げているそうです。これぞ、波佐見の分業制!(ちなみに波佐見町内にある公園『HIROPPA(ヒロッパ)』では、HASAMIを実際に手に取ってみることができますよ)
従業員は長く勤めてくれている職人ばかり。小樽工場では、太一さん夫婦を含めて9名、中尾山工場では太一さんの両親を含めて3名、計14名が働いています。取材に伺ったのは12月初旬で工場も冷え込みが厳しくなる季節でしたが、きびきびと働くみなさんの様子が印象に残りました。
「毎朝8時くらいに出社して全員で朝礼をしたら、すぐに作業に入ります。昼休憩を挟んで17時半まで。15時休憩? もちろんありますよ(笑)。釉薬を使った商品開発は父とわたしと従業員ひとりの3人で担当しており、絵付けができるのは母と従業員の2人だけ。ほとんどは流れ作業で仕上げていくので、作業場ではひとりが止まってしまうと次が続きません」
15時休憩というのは、波佐見では当たり前の光景。15時から15時10分までは全員が作業を止め、みんなでお菓子を食べながらお茶を飲むそうです。窯元の仕事は、それだけ集中力を伴うのです。
二十歳から変わらず、新しいものを生み出すのは楽しい。
太一さんが波佐見へ帰ってきた理由、それは筒山太一窯で “蓄光” の開発を始めることになったから。蓄光というのは、昼間浴びた紫外線をエネルギーとして蓄え、夜間に自ら発光する物質のことをいいます。
当時、まだ二十歳。蓄光の知識もなければ、焼きものの経験もない状況で、まさにゼロからのスタートだったそうです。
「長崎県窯業技術センターにお願いし、共同で研究開発を行いました。焼成がとにかく難しかったですね。ちょっとの違いで光の具合が変わってしまうんです。わけがわからない状況で進めていましたが、新しいことにチャレンジするのは昔から好きだったかもしれませんね」
開発した蓄光は平成20年4月、東京都営地下鉄46駅に『蓄光製品避難誘導タイル』として採用されました。
「窯元の仕事をするようになってからも、釉薬などを研究して調合してみたり、組み合わせをテストしながら新しいものを生み出すのが楽しいんです」
最近、取り組んでいるのは、長崎県窯業技術センターの3Dプリンターを活用した陶切子(とうきりこ)。まるでガラス切子のような繊細な文様を最新技術で実現させています。釉薬でコーティングされているので、日常的に使用する食器としての使い勝手もバッチリ。スリップウェアの技法をアレンジし、手作業で施すマーブル模様もおすすめだそうです。
「盛りつけてみれば、意外とどんな料理も合うんじゃないかなと思っています。今、磁器を使ってらっしゃるひとは、陶器に替えて見るだけでも料理の幅がうんと広がるはず。焼きものと料理をテーマにした発信も Instagram などを通じてどんどんしていけたらと思っています」
陶器のよさは「表現の幅が広いこと、温かみがあって奥が深いこと」と、太一さんは話します。細かい土から粗い土まで、いろいろな種類の土を使い分け、釉薬との組み合わせを試し、ふたつの窯を使い分けながら焼き上げる。自然の力とタッグを組んで仕上げる、太一さんの焼きものづくりはこれからも続きます。
今年の春も2022年4月2〜3日には『桜陶祭(おうとうさい)』が行われます。筒山太一窯の中尾山工場も参加していますので、どうぞお出かけください。最新情報は、筒山太一窯のInstagram をご確認ください。
【筒山太一窯】
長崎県東彼杵郡波佐見町中尾郷1018
0956-85-4912
公式サイト https://taichigama.com/index.html
オンラインショップ https://taichigama.shop/
Instagram https://www.instagram.com/taichi_gama/